前回までのあらすじ
一九八七年四月、東洋新聞の土井垣侑は特派員としてモスクワに降り立った。当時のソ連では記者は政府の管理下でしか取材をすることができなかった。そんな状況にフラストレーションを溜めていた土井垣は、精力的に取材を重ね、タタールの独立運動のデモをスクープ。ついに「特ダネ禁止」に風穴を開けた。それと並行して土井垣は人脈を広げるが、信頼していた人物がスパイだったことが明らかになる。当局監視の目を感じつつ取材を続け、ついに世界に先駆け共産党独裁放棄のスクープをものにする。と同時に、土井垣に対する監視の目は、さらに厳しくなっていき……。
第7章 消滅の傷跡
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空港でチャーターしたタクシーは、何度もシートから尻が飛び上がるほど揺れながら、舗装されていない山道を走った。一九九一年十二月八日。土井垣はウクライナのキエフから、ベラルーシのミンスクに入った。空港についた時は雲が低く、今にも雨が降り出しそうだったが、山あいに入った頃には雲の切れ間から太陽が顔を出してきた。
この日、ポーランドとの国境に近い、ベロヴェーシという森にある公用の別荘で、ロシア、ウクライナ、ベラルーシのスラブ三共和国の首脳会談が行われていた。
ベラルーシに来たのは赴任一年目の外国人記者の招待旅行以来、四年振りになる。当時は四六時中、監視役のガイドがついたが、今はソ連国内を記者が自由に行き来できるようになった。
三日天下に終わった八月のクーデター未遂以降、ゴルバチョフ大統領は急激に力を失っていった。各地の民族運動も盛んになり、ロシア共和国に次ぐ第二の共和国、ウクライナでは独立を問う国民投票で九十パーセント以上が賛成票を投じた。ゴルバチョフもそれまでの「独立を認めない」姿勢から、各共和国の独立を認めながらもソ連邦を維持する「新連邦条約」の締結に方針を軌道修正し始めた。
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