浅井村療養所は大津市北部の山間にあった。一応、地理的に見れば左京区北東部の山を越えてすぐの場所だが、交通の便の悪さからか訪問者など滅多にやって来ない。
しかしその日の昼過ぎ、そんな辺鄙な施設に一台のハイヤーが侵入してきたかと思えば、中から全身黒ずくめの男が降りてきた。八月の京都といえば焦熱地獄と同義だが、その男は顔に汗一つかいていなかった。
彼こそは日本探偵公社の大看板、キングレオこと天親獅子丸その人であった。
「面会だ。アポは取ってある」
獅子丸が受付で用向きを告げると職員が現れ、そのまま面会室に通された。獅子丸がガラスの前に座って待っていると、しばし後に白皙の美少年が顔を出した。
「おや、獅子丸さん」
感染防止のために、面会室の向こうとこちらはガラスで遮られているが、設置されたマイクとスピーカーのお陰で会話に不自由はない。それでも少年は獅子丸の正面に座る。
「元気そうだな、城坂論語」
少年の名前は城坂論語、日本屈指の進学校に通う高校二年生だが、天才的な犯罪コンサルタントという一面も持つ。故に獅子丸の計略によって半年の間、ここに封じられる羽目になった。
「別に不自由はしてませんけどね。避暑地の別荘と思えばまあ天国ですよ」
あながち強がりでもなさそうに聞こえるのは、その厭世的な雰囲気故か。
論語は悪質な伝染病であるプルガ熱のキャリアの疑いがあるという名目で隔離されている身のため、外との行き来は厳しく禁じられているが、一方で犯罪者ではないのでインターネットも電話も自由に使える。確かに、人嫌いには天国かもしれない。
「しかし参りましたよ。暇過ぎて暇過ぎて……学校に通ってる時より勉強してますね。お陰様で明日が入試本番でも入れない大学はなさそうですよ」
端からは減らず口にしか聞こえないが、少なくとも当人は本気で言っているようだ。しかし獅子丸は論語がそれだけの頭脳の持ち主であることを既に知っている。
「そのまま勉強して、その無駄な頭脳を世のため人のために活かすんだな」
「生憎、他人様から感謝されるようなことだけはしないと決めてるんですよ」
「ここを出てもイタズラを繰り返すようなら、お灸なんかでは済まないと思え」
「つまり獅子丸さんはぼくに更生して欲しいんですね」
論語は輝くような笑顔を獅子丸に向けるが、獅子丸の表情は暗い。
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