選歌が厳しすぎる?
服部 父という言葉を使うのはほとんど無意識なんですが、不思議なことに母の歌より父の歌の方が多いですし、父を詠った歌が良いと言われることが多いですね。私の父はひとりしかいないので、「父」という言葉を使うときには、私がいままで父の娘として生きてきた姿というのは必ず投影されてしまうのだと思います。けれど短歌にするときは、実際の父というよりも「父」という言葉そのものが持っているイメージというか、私個人の父というよりはもっと普遍性に近いところに触っている感じで言葉を使っているつもりではいますね。
たとえば、短歌の中で「孔雀」という言葉が出てきたとき、この孔雀は実在の孔雀かとかあの動物園の孔雀かとかいう話はみんなしないじゃないですか。でも「父」という言葉が出てくるとその人の父親かなと思われる。これは不思議な現象だと思います。
――歌集を作る上で、こだわった部分はありますか? というのは、『行け広野へと』の栞を読むと、栞文を書かれた黒瀬珂瀾さんは「自選が厳し過ぎ」と言及しています。連作によっては半分の歌が落とされているとも書かれていますね。
服部 それは、レベルの低い歌を載せたくなくて。私自身がそうなんですが、長いものを読むと途中で飽きてしまいますし、なるべく歌の数を絞って、少数精鋭という感じの歌集にしたかったんです。
あとは、読んでいて変に思う部分、余計なストレスを感じる部分がないように心がけました。たとえば、詠われている季節が逆戻りしないように、歌の順番を並べ替えたりとか。
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