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【冒頭立ち読み】『剣樹抄』(冲方丁 著)#2

文: 冲方 丁

『剣樹抄』(冲方丁 著)

 中山の細かった目が急に丸くなった。そういうところも猫っぽかった。

「ここの開祖ではありませんか」

「坊主は坊主だ」

「はあ」

「それより、どこぞの大名が来ているようだ。日を改めるべきか?」

 光國が、馬小屋につながれた馬たちと、お堂の方を見やった。砂利道に茣蓙を敷いて足軽たちがきちんと座り、主君を待っている。

「いえ。まさにお会い頂きたい方が、ご到着されているようです」

 今度は中山が率先してお堂へ向かった。光國と中山が階段に足を乗せたところへ、真っ白い僧衣の男が、後ろからぬっと現れて二人の間に入り込んだ。

 裸足である。僧衣の男が懐から雑巾を取り出し、さっさっと左右の足の裏を拭くや、ひょいと雑巾を庭の方へ投げた。若い坊主が飛び出し、雑巾を宙でつかみ、走り去った。

 光國は、いったい何の修行か訊きたかったが、あまりに自然な所作のせいで訊く間がなかった。

 白衣の男が振り返って一礼し、京訛りの江戸弁で告げた。

「ようこそおいで下さいました、御曹司様、中山様。拙僧は、今のところ、この寺を任されております、罔両子と申します」

 罔両とは、魑魅魍魎の魍魎のことである。名の通り、人の常識の埒外にいそうな僧だ。六十近いが皺がほとんどなく、肌は白く艶やかで、外見からは年齢不詳。御城の奥女中たちが、ありがたいお経を聞きに行くと称して坊主買いに来そうな好い男だった。

「沢庵様のこのお寺は、大徳寺派の僧が輪番で管理しております。今は拙僧が、“お手合い”の養育ともども任されておりましてね。本日はご覧頂くため、特にこの『寺』が使う者たちを三人、ご用意いたしました」

 光國は完全に話を見失った。

「養育? 三人とは?」

「百聞は一見に如かずです、子龍様。さ、罔両子様の後について参りましょう」

 中山が言い、光國は訝しみながらも従った。

 本堂の前を通り、奥の別棟の部屋に通された。しんとした空気の中、静かに座していた男が、向きを変えて光國たちを出迎えた。

 光國と中山がすぐに膝をつき、作法通り慇懃に礼をした。

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剣樹抄冲方丁

定価:本体1,500円+税発売日:2019年07月10日


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