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<阿部和重 ロング・インタビュー> アメリカ・天皇・日本 聞き手=佐々木敦 #2

<阿部和重 ロング・インタビュー> アメリカ・天皇・日本 聞き手=佐々木敦 #2

文學界10月号 特集 阿部和重『Orga(ni)sm』を体験せよ

出典 : #文學界

――なるほど、面白そうな作品ですね。

 阿部 その意味で『HOMELAND』は僕の作風と接するものがあったし、またそれ以外の同時代のハリウッド映画やドラマに対して自分はどういうものを差しだせるかと常に念頭においていました。そういえば、作中でもツッコミを入れてますけれども、いわゆる純文学の中で日常で馴染みのないCIAなどを出してしまうと、途端に嘘くさくなってしまう。「CIAって(笑)」と読者に思われかねないので、ちゃんと実在性のあるキャラクターとして見せる必要がある。そのため、映画批評を書く上では批判的に扱っていた疑似ドキュメンタリー的手法を今回は全面的に駆使しました。新聞記事を引用しまくり、リアリティーを担保することがいつも以上に必要だったわけです。

――ラリー・タイテルバウムというCIAケースオフィサーのキャラクター造形が、まさにポスト『キャプテンサンダーボルト』的にすごくよくできていると感じました。『キャプテンサンダーボルト』同様、今作も一種の「バディもの」になっている。突然家に転がり込んできたラリーのせいで、主人公の作家は息子を連れて訳がわからない状況にどんどん巻き込まれていく。ラリーにはいろんな目論見があり、かなりの部分で阿部和重をだましてもいるんだけれども、決して悪いやつではない……かなり意識してバディ小説をやられてますよね。

 阿部 実際は、バディものというジャンルの見え方を利用して本当の狙いを隠すということを考えていました。これは文學界に載るインタビューだからいってしまいますけれども、途中、二人の関係性を表すキーワードとして「友だち」という言葉が出てきます。「友だち」とはいったい何なのか、というのが一つのポイントになっている。

――それは、アメリカと日本の関係性のことですよね。

 阿部 そうです。ラリーが「わたしと阿部さんは、この一ヵ月ほどでトモダチになれたと思っていました」という。そこをカタカナにしているのは当然、震災時の「トモダチ作戦」が念頭にあったからです。日米関係というものをどう物語化するかが最大のテーマの作品なので、冒頭にヴァン・モリソンの歌詞引用があるのも、血まみれのアメリカ人の男が作家の家に転がり込むのも、物語として面白く見せるためだけではなくて、そこにはさまざまな狙いがある。

――全部隠喩になっているわけですね。

 阿部 すべて隠喩です。でもそう見えないように、まずはバディものとして物語を進められれば、知らぬ間に読者もそこに巻き込まれていくのではないかと考えました。

――映記(えいき)くんという二歳の息子を連れていることも、エンターテインメントの手法をすごくうまく使っていますね。きっと阿部さんの過去の小説を知らずに今作を読んでも、エンタメとして楽しめる。でもそれは実はものすごく緻密に張り巡らされたブラフなわけで、その裏側にいままで神町トリロジーを通じて問うてきた、日本とアメリカの非対称な関係性にどうケリをつけるか、という問題がある。ラリー・タイテルバウムは本当に魅力的なキャラクターなんだけど、一方ではやっぱりアメリカのアレゴリーなわけです。

 阿部 アメリカそのものとして書いたといえます。日米関係の物語化が大きなテーマであるこの三部作において、『シンセミア』は、まず占領から始まる。日本が敗戦国になり、アメリカがやってきて占領され、そこから一気にアメリカナイゼーションが進行していき、ほとんど属国のようになっていく。アメリカの属国化していく国としての日本の中で、どのような文化が生まれていったかを物語化したのが『ピストルズ』。この二作ではさらに、アメリカ化された日本の中で、日本そのものの象徴である天皇家がどのように移り変わっていったかを描こうと考えていました。

『Orga(ni)sm』は完結篇なので、たくさんの報道記事などに触れたりしながら、現実のアメリカ、『Orga(ni)sm』を書く直前のアメリカを自分なりに注視する作業が必要でした。

オバマというキャラクター

――『Orga(ni)sm』の、これも大きな特徴のひとつですが、バラク・オバマが登場人物の一人として出てきます。アメリカの大統領を登場人物にした日本の純文学の小説というのは他にないのではないでしょうか。

 阿部 少なくとも現実に大統領職に就いた人物を書いたというのはあまりないと思いますね。

――しかし、少なくとも二作目の連載開始時には、アメリカで黒人の大統領が生まれることはまだわかっていないわけです。オバマが大統領に就任したのは二〇〇九年ですから。オバマになって、アメリカはそれまでとは明らかに変化したでしょう。

 阿部 『シンセミア』の頃は、アメリカは世界的にも帝国主義的なものの象徴とみなされている節があった。二〇〇一年以降、テロとの戦いといいつつイラク戦争を仕掛けたりと、わかりやすい「悪」の典型だった面がある。そんな中オバマが登場した。もちろんオバマの現職中の仕事については議論が分かれるところはあり、内政と外交で評価が大きく変わってくるわけですが、それ以前のたとえばブッシュ政権下のアメリカとはだいぶ違うものを見せてくれた大統領ではあった。やっぱりそのイメージはそれ以前と比べて、肯定的に捉えられる部分が大きい。

――初の黒人大統領であるというだけじゃなく、彼がやったことはそれ以前、あるいは以後の大統領とは全然違う。

 阿部 そのようなオバマ政権下のアメリカを三部作中に取り入れるにあたって、どんな物語の組み立て方が正しいのか。そもそもアメリカはいま、どういう状態なのか。作中でも結構つっこんで触れていますけれども、オバマ政権下のアメリカは、表向きには平等と正義の追求を強く推し進めながらも、それを支える立憲主義や遵法精神が現実的に機能しなくなっていく過程だったと考えられます。もともとオバマは弁護士出身で、法に則って問題に対処していくイメージになじみやすい人物だったわけですが、彼の大統領在任期間八年間は、強権的な無法脱法に対してアメリカが無力化していく時期でもあった。たとえばロシアがウクライナに進駐しても、口ではいろいろいえるのだけれども、強硬策が取れない。民主国家で合法的な手続きをとるには議会の承認を得なければならないがそれも果たせず、理想を追えぬまま権威主義国家のやりたい放題を指をくわえて見ているしかない。オバマはそういう苦しい立場にあった。

――イランの問題もありましたね。

 阿部 最も大きな問題は、シリアのアサド政権への対処です。大規模な人権侵害を深刻視してレッドライン(越えてはならない一線)を宣言しながら、化学兵器使用疑惑のある同政権の市民虐殺をとめられなかったという矛盾。アサドの後ろ盾たるプーチンが出したその場しのぎの解決案に乗っかるかたちでしか問題に対応できず、そこから「アメリカはもう世界の警察官ではない」発言が生まれる。オバマのこの発言に八年間の変化がすべて込められていると思います。

――世界の側が変化してしまったということですね。

 阿部 唯一の超大国とまで呼ばれた存在ながら、正しくあろうとすることそれじたいによって全身傷だらけとなり、ほとんど修復不可能なまでに傷をひろげるばかりの状態にあるのが現在のアメリカの一側面だと思う。冒頭で血だらけのラリー・タイテルバウムが転がり込んでくるのは、それをアメリカの現在と結び付けたかったからなんです。

 そんな現状にあるアメリカと日本が三部作最終部でどのような関係を結ぶべきか考えた時に、僕が行き着いた結論は「あまりにもろくはかないアメリカを助けなきゃならない」ということでした。たとえ偽善と見わけがつかないとしても、人権擁護を支持する上ではこの世界にはアメリカが必要であり、オバマのアメリカをわれわれは救わなきゃいけない。オバマ的なものを生みだすアメリカのシステムを守らなきゃいけない。

 話は変わりますが、『シンセミア』から始まる三部作を考えた時に参考にしたものとして、『スター・ウォーズ』のプリクエル三部作があります。

――ジョージ・ルーカスが監督した、エピソード1~3ですね。

 阿部    『Orga(ni)sm』は三作目なので、ちょうどエピソード3に当たる内容なんですよ。あれは最終的にダース・ベイダーが誕生し、ジェダイの騎士たちが皆殺しにされ、銀河系がどんどん帝国の支配下に収められつつある、という暗いかたちで終わっていく話ですよね。その雰囲気と『Orga(ni)sm』を重ねているところがあります。最終的にオバマは大統領の職を離れ、ホワイトハウスから出て行くことになる。

――そしてトランプがやってくる……。

 阿部 遵法精神が敗北を喫する。それがこの高度情報化社会の現実なんだというのが、『Orga(ni)sm』のテーマでした。そんな中でいかに立憲主義を機能させるのかが問われてもいるわけですが、その明確な答えは見つけられないままドラマは終わっていく。

――ある種、むなしい終わり方でもありますよね。ラリーがアメリカの比喩だというお話に絡めると、ラリーに対応する人物としてバラク・オバマが存在しているとも思うんです。つまり、この小説では最後に至るまで、オバマはアメリカが持っている、あるいは持ちうるはずだったポジティブなものの象徴になっている。最後にトランプのアメリカになった時にもオバマは「自分はもう大統領じゃなくなったけれども、これからも頑張る」という趣旨のことをいうじゃないですか。それがたいへん象徴的でした。現在がトランプの時代ということを考えると、オバマに対する評価が余計鮮明に見えると思います。

 リチャード・パワーズの長篇小説『われらが歌う時』を思い出します。黒人大統領が誕生する話で、オバマが現れる前に書かれているのでそれも一部で予言的といわれている。つまり、アメリカの指導者がいったいどういう存在であってほしいかを小説家が書くということ。『Orga(ni)sm』の場合は実際に生きているオバマを描いているけれども、実在するからといってただ書けばリアリティーを持つわけではないし、一方でフィクションだから好き勝手に書いていいということにもならない。『Orga(ni)sm』はその中間ですごく繊細に人物造形をしているなと思いました。われわれが知っているオバマでもあり、小説の中のキャラクターとしてのオバマでもある。

 阿部 たとえば大統領がブッシュだったら全然違った展開になっていたでしょう。二〇〇〇年代から二〇一〇年代にかけて、アメリカ政府のイメージが大きく好転したのはまちがいない。もちろんオバマだって裏ではドローンでテロ容疑者を超法規的暗殺とか、不法行為をいろいろ働いているという指摘はあるにしても、和解と協調へ向けた行動はイランやキューバで成果を生みかけてもいた。ただ、一方でオバマの仕事がトランプ誕生を準備した側面もあるのかもしれず、簡単に整理できる話でないのも事実です。それも含めてオバマという人間の苦悩に、書いていてどうしても肩入れしてしまいました。だからこそ存在感のあるキャラクターになりえたという感触を持っています。

>>#3へつづく


阿部和重(あべかずしげ)
一九六八年生まれ。山形県出身。作家。九四年に「アメリカの夜」で第三七回群像新人文学賞を受賞しデビュー。九九年、『無情の世界』で第二一回野間文芸新人賞、二〇〇四年、『シンセミア』で第一五回伊藤整文学賞、第五八回毎日出版文化賞、〇五年、「グランド・フィナーレ」で第一三二回芥川賞、一〇年、『ピストルズ』で第四六回谷崎潤一郎賞を受賞。その他の著書に、『インディヴィジュアル・プロジェクション』、『クエーサーと13番目の柱』、『Deluxe Edition』、伊坂幸太郎との合作『キャプテンサンダーボルト』などがある。

佐々木敦(ささきあつし)
一九六四年生まれ。愛知県出身。音楽、文学、映画、演劇などの批評を幅広く手がける。『批評時空間』、『シチュエーションズ』、『アートートロジー』、新刊『この映画を視ているのは誰か?』、『私は小説である』など著書多数。

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