御殿を神殿だと思って
大島 「妹背山」のお三輪は、平成中村座の時が初役ですか?
七之助 浅草は二回目です。まだ父が存命だった二〇一二年に大阪松竹座で「三笠山御殿」の段を演じさせていただきましたが、実は僕は子供のころ、このお芝居を観た時はお化け屋敷のように怖い感じがしたし、お三輪は苛められてばかりで、ストレスがたまりそうな役だな、なんて思っていたんです。それが、この年のお正月にル・テアトル銀座で玉三郎のおじ様が演られた、お三輪を観た時に、衝撃を受けて……まぁ、可愛らしくて、素晴らしかった。ル・テアトル銀座は小さな劇場で、歌舞伎をふだん上演するような小屋ではないです。逆にその狭さをうまく利用してというか、そこに適したリアルなお三輪を演られて、それを観終わった瞬間に、父の(十八世)勘三郎に「お三輪が演りたい!」と伝えました。
大島 お兄さんの勘九郎さんは、七之助さんが「お三輪を演りたい」とおっしゃった時、「エッ、演るの?」と驚かれたという記事を読みました。
七之助 父には「俺のお三輪もよかったんだぞ」って、言われました(笑)。(波乃)久里子の伯母が観て、「すごいよかった」と褒めてくれたとか。
大島 勘三郎さんに稽古をつけていただいたわけではないですよね。
七之助 教えていただいたのは、玉三郎のおじ様です。本当に細かく教えていただいて、こんな風に気持ちを構築しながら、歌舞伎座だったり、テアトルだったり、舞台に合わせてお三輪を演られているんだと思いました。
たとえば、お三輪が恋しい求女を追いかけて、御殿の前にたどり着いた場面ですけれど、歌舞伎に登場する御殿はほかにも沢山あるし、何万回も観ているから別に珍しいものではありません。けれど、お三輪のような何も分からない、田舎者の少女が、立派な御殿を見た時どんな気持ちになるか。
それを玉三郎のおじ様は、「これは神殿や教会だと思って」「すごく広くて、大理石の石柱が立って、シーンとしたところに、田舎の女の子がポツンと独りで来ちゃったというイメージで演ってみて」と言うんですね。そうした場所で、お三輪が「お留守かえ」とねたら、自分の声が木霊のように反響して跳ね返ってくるので、いよいよ心細くなるんです。
大島 お三輪は求女のことが好きだという気持ちだけで、苧環を追ってきたけれど、広大な御殿に到着して、「あれ、私はどこへ来ちゃったんだろう?」と、いきなりここで寂しくなってしまうわけですね。
七之助 玉三郎のおじ様からは、「そういうところをきちんと演らなければ駄目よ」と、すごく言われました。それから、僕は以前からお三輪はずっと苛められてばかりで嫌だな、と思っていたわけですが、そこも「(自分が)苛められている感覚はゼロ」「ああ私かわいそう、なんて思ったら、絶対に駄目ですよ」とも言われました。
大島 エーッ!?
七之助 お客様がお三輪が苛められてかわいそうだと思われるのは、いいんです。でも演じている方は、そういう悦に入ってしまうのは絶対に駄目で、とにかく求女に会いたい。会うためだったらどんなことでも我慢すると、頑張っているうちに自然に涙が零れてくる、と――。
大島 なるほど。あの場面での七之助さんの苛められ方は、本当に一途に求女に会いたいという気持ちが出ていていじらしかったです。
七之助 子供の頃に厳しい稽古で、うちの父親に「泣いたって駄目だ!」と言われて、ポロポロと泣いちゃったりしたでしょう。その時に、自分がお父さんに苛められてかわいそうだとは思っていないですよね。お三輪もそれと同じです。とにかく細かい部分までの心根を教わりました。
大島 先ほど、神殿のイメージと言われて気が付いたんですが、あの三笠山の御殿はちょっと異空間な気がします。「妹背山」はあのお三輪の場面だけでも、他の古典作品と受けるイメージが違って、そこにも自分は反応したんだと改めて思いました。
七之助 玉三郎のおじ様が演じられたお三輪を「神々しい」と感じられたそうですけど、どこか神殿の中で行われたような“洋”のイメージもありますね。そもそも、この作品は高貴な人に恋をしてしまった世間知らずの娘が、蘇我入鹿と藤原鎌足親子の争いに巻き込まれるのですが、入鹿を倒すためには「疑着の相」となった女の生き血が必要という不思議な話で(笑)。
大島 確かにそこは変なんです。入鹿という大悪人を倒すために、生き血や笛というアイテムが必要になってくるという……。
七之助 もう完全なファンタジーですよ。でも、そこにこそ人間のリアルな嫉妬だったり、真実の愛や情けだったりが浮かび上がってくる。作者がこういう物語をどこから発想したのか、僕には小説なんてとても書けないから分かりませんけど、大島さんは作家だからこそピンとくるものがあったんでしょうね。
大島 何か他の演目を観ている時と空気がちょっと違いました。
七之助 僕には書くことが難しいこと、辛いことだというイメージがありますが、いざ実際に書き出してみてご苦労はありましたか。
大島 私はどの作品でも苦しいことはあるけれど、結構、楽しく書いちゃいますね。今回は自分が歌舞伎が大好きだし、江戸時代の芝居小屋が立ち並ぶ道頓堀のことを考えているだけでもすごく楽しくて、なかなかこちらの世界に戻ってきたくなかったくらいでした(笑)。
七之助 そうなんですね。僕たち役者には分からない部分で、作家の方の頭の中を一度、のぞいてみたいといつも思うんです。
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