二〇一五年、平成中村座で七之助が演じたお三輪の可愛らしさが、小説家の創作意欲をかきたてた……直木賞受賞作誕生の背景にあった歌舞伎との深い縁を語り合う。
(二〇一九年八月六日、歌舞伎座にて)
「妹背山」なら何か書ける
七之助 この度は直木賞のご受賞、おめでとうございます。
大島 ありがとうございます。
七之助 稽古場でも受賞作の『渦』のことは話題になっていました。今回の対談のお話をいただき、僕が本を持っていたら、市川中車さんの付き人の方に「自分も同じ本を持っています。面白いですよね」と言われました。
大島 わぁー、うれしいです。そもそも、この『渦』という作品は、七之助さんが演じた「妹背山婦女庭訓」のお三輪を観た時に、何か書けるかもしれない、とピンときたのが始まりなんです。
七之助 いつ頃のことですか?
大島 二〇一五年、浅草での平成中村座の陽春大歌舞伎でした。
七之助 まだ、兄の勘九郎の長男・七緒八(中村勘太郎)が小っちゃくて、豆腐買いの娘役で出ていた時ですね。
大島 とにかく七之助さんの演られたお三輪が、いじらしくて、すごく可愛かった。以前から歌舞伎のことを書いてほしいと言われていた担当編集者に、「『妹背山』なら書けるような気がします」と伝えて、そこからこの小説がスタートしました。
七之助 あんな拙いものを観ていただいて……。
大島 とんでもない。最初は歌舞伎の「妹背山婦女庭訓」を軸に、連作短篇をお団子をくっつけるような形で書こうと思っていたんです。
七之助 現代が舞台になる可能性もあったわけですか?
大島 はい。いろんなものを組み合わせていこうと考えていました。ところが、「妹背山」は文楽というか、もとは人形浄瑠璃からスタートしたものだったので、じわじわそちらに話が寄っていって、気が付いたら当初の予定とは、全然、別のものになってしまいました。
それでも、七之助さんのお三輪ありきで、その後、十二月に歌舞伎座でかかった「妹背山婦女庭訓」も、続けて拝見しました。「杉酒屋」と「道行恋苧環」の段までを七之助さんが、「三笠山御殿」からは坂東玉三郎さんが演じられたんですが、玉三郎さんのお三輪は、別の意味で凄すぎて、何かとてつもなく神々しいというか(笑)。
七之助 その感想はよく分かります。本当に神々しいというか、玉三郎寄りというか、あのお三輪は、玉三郎のおじ様にしかできない芸です。
大島 七之助さんのお三輪は、やはり可愛らしさが前面に伝わってきて、この世に実在する娘さんというか、すぐ近くにいるような気がしました。
七之助 その部分は、努めて意識したところですね。