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もう一つ、初期作品から貫かれているのは、村上春樹の歴史意識です。例えば、村上作品には、一貫して「8月15日」に対する強いこだわりがあります。
デビュー作『風の歌を聴け』(一九七九年)に「僕」が付き合った「三人目の相手」の「仏文科の女子学生」が、翌年の春休みにテニス・コートの脇の雑木林の中で首を吊って死んでしまったことが書かれています。『ノルウェイの森』で、森の中で首を吊って死んでしまう直子の系譜に繋がる女性です。
その女の子と付き合い出してから、「僕」は「全ての物事を数値に置き換え」ることが癖になるのですが、「当時の記録によれば、1969年の8月15日から翌年の4月3日までの間に、僕は358回の講義に出席し、54回のセックスを行い、6921本の煙草を吸ったことになる」とあり、「そんなわけで、彼女の死を知らされた時、僕は6922本めの煙草を吸っていた」と記されています。このように「死の世界」の象徴のような「仏文科の女子学生」との起点と思われる日に「8月15日」が置かれているのです。
「この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る」と、『風の歌を聴け』の冒頭近くに有名な1行だけの章があります。同作の中で毎週土曜の夜に放送されている「ポップス・テレフォン・リクエスト」というラジオ番組が物語を動かしていく重要な役割を果たしていますが、1970年8月8日は土曜日で、その日のラジオ番組が作中に登場します。そして、8月22日と思われる土曜日のラジオ番組も記されているのですが、なぜか「8月15日」の放送は記されていません。
でもその「8月15日」と思われる日あたりから一週間ほど、「僕」が「ジェイズ・バー」(このバーのバーテンは中国人です)で知り合った「小指のない女の子」は旅をすると言って、堕胎の手術を受けていますし、「僕」の分身的な相棒である「鼠」も一週間ばかり「調子はひどく悪かった」のです。