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「舵の曲ったボート」の歴史意識――村上春樹、小説家40年を貫くもの<特集 村上春樹・作家生活40年>

「舵の曲ったボート」の歴史意識――村上春樹、小説家40年を貫くもの<特集 村上春樹・作家生活40年>

文:小山鉄郎

文學界12月号

出典 : #文學界

 その後、「僕」が「鼠」を誘ってホテルのプールに行くと、空にジェット機が飛行機雲を残して飛び去っていくのが見え、二人は昔見た米軍の飛行機のことや港に巡洋艦が入ると街中がMPと水兵だらけになったことなど、日本の敗戦後の風景のことを話しているのですが、その一方で放送されたはずの8月15日のラジオ番組は記されていないのです。

 これは意識的な不記述なのでしょう。つまり、この『風の歌を聴け』というデビュー作は、日本の敗戦から一週間を意識して描いた作品なのだと、私は考えています。

 ☆

 続く第二作『1973年のピンボール』(一九八〇年)には「一九七三年九月、この小説はそこから始まる」とあります。これは『風の歌を聴け』の「この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る」に対応した記述でしょう。

 そして、この『1973年のピンボール』には「208」と「209」という数字が書かれたトレーナー・シャツを着た双子の女の子が登場します。十月を迎えるころには、双子は新しいスポーツ・シャツと「僕」の古いセーターを着た姿となって、「208」と「209」ではなくなっています。この双子の「208」と「209」は「昭和20年8月」と「昭和20年9月」のことを表しているのではないかと、私は推測しています。つまり、この第二作は日本の敗戦から一カ月間を意識して描かれた作品なのだと思うのです。

 確かに、これだけではあまりに飛躍した考えかもしれません。でも、その後の『ねじまき鳥クロニクル』(一九九四年、九五年)で、「僕」が妻クミコの兄・綿谷ノボルと対決して、野球のバットで兄を殴り倒すという場面が描かれますが、「僕」が綿谷ノボルと闇の中で対決する場所は、ホテルの「208」号室となっているのです。

 しかもその場面は赤坂ナツメグや彼女の父親をめぐる「一九四五年八月」の物語の後に語られています。綿谷ノボルは日本を戦争に導いた精神のような人物ですが、その綿谷ノボルとの対決の場として「208」号室が選ばれたということは、この「208」は「一九四五年八月」、つまり「昭和20年8月」と考えてもいいのではないかと思います。

文學界 12月号

2019年12月号 / 11月7日発売
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