このように第一作『風の歌を聴け』と第二作『1973年のピンボール』は「昭和20年8月」で繋がっていますし、日露戦争や旧満州のことなども出てくる第三作『羊をめぐる冒険』とも、戦争で繋がっているのです。この歴史意識の延長線上に『ねじまき鳥クロニクル』などが書かれていくのです。
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加えると、この「僕」と綿谷ノボルの対決の場面について、いくらなんでも、自分の妻の兄をバットで殴り殺すのは残酷だろうという意見もありました。でもここにも「舵の曲ったボートみたい」な考えが反映しているのだと思います。
村上春樹の小説は、いつも自分の心の闇を探る小説ですが、『ねじまき鳥クロニクル』の、この場面も闇の中の「208」号室での戦い、自分の心の底での戦いです。日本を戦争に導くような相手を叩き潰すだけでは戦争は無くならない、「舵の曲ったボートみたい」にして「《私自身》」に戻って考えてみれば、自分の心の底にも、同じように、日本を戦争に向かわせたものが潜んでいて、それを叩き潰さなくては、戦争は無くならないという思いが描かれているのだと思います。バットで叩き潰されているのは、向こう側(綿谷ノボル)ばかりでなく、こちら側(「僕」)の中にもある戦争に向かわせるものなのだと思います。
この続きは、「文學界」12月号に全文掲載されています。