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「この本がなければ私は小説家にならなかった」

「この本がなければ私は小説家にならなかった」

文:窪 美澄 (作家)

『僕のなかの壊れていない部分』(白石一文 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『僕のなかの壊れていない部分』(白石一文 著)

 本書の後半、なぜ、彼がこんな人間になったのか、を理解するあるエピソードがある。それを読んで、これは私の物語じゃないか。そう思った。これは私の物語じゃないのか? そう読者に思わせてくれる作家が、今、何人、日本にいるだろうか? 

「だってそうだろ。僕は、産んでくれた母親にさえあっさり捨てられたような人間なんだよ。そんな人間に大した価値なんてあるわけないしね。そして、ようやく物心がついて、僕はこう考えるようになった。……人間は自分の人生にとって本質的なことからは、何がどうあったって、決して目をそらすことができないんだ。……いくら誤魔化して生きてみても、絶対に忘れることなんてできやしない。」

 この言葉で鬱が軽くなったわけでも、生きることが楽になったわけでもない。けれど、こんな私でも小説を書いてみてもいいんだ、と思えるようになった。だから、この本がなければ私は小説家というものにならなかったと思う。この作品に赦しをもらったような気になったのだ。

 この物語を自分からはほど遠い高慢な男の話、という感想を持てる人は、ある意味とても健康で幸せな人だろうと思う。けれど、小説を書く前の私のように、心のなかに高熱のマグマのようなものを抱えていたり、現実世界の在り方や、ネットで声高に語られる意見や、万人に受け入れられている小説や映画なんかじゃ心が動かない、どうしたって納得できないんだ、ざらりとしたものが残るんだよ、と思っている人には、ぜひ本書を読んでいただきたい。

文春文庫
僕のなかの壊れていない部分
白石一文

定価:924円(税込)発売日:2019年11月07日

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