最難関大学に毎年数多くの合格者を送り込み、高度成長期以降、受験界で名を轟かせてきた「男子御三家」。三校とも非常に個性的な教育をおこなうことでも有名だ。「日本の頭脳」を量産する教育現場の実態を解き明かす。
男子御三家とは
「男子御三家」と呼称される私立中学校・高等学校をご存知だろうか。
これは東京にある私立男子校「麻布」「開成」「武蔵」の三校を指し示している。
それぞれが長い歴史を背負った伝統校であるとともに、難関大学合格実績では毎年屈指の結果を残している進学校だ(二〇一九年度の東京大学合格者数は、麻布一〇〇名、開成一八六名、武蔵二二名)。三校ともその知名度は全国区である。
そんな学校だからこそ、入口に高いハードルが設けられている。中学受験の世界では難関校として知られ、難問揃いの入試問題に挑み、高倍率の入試を突破しなければならない。中学受験生にとってはまさに憧れの存在である。
わたしは二〇一五年一〇月に『女子御三家』(文春新書)を上梓した。「女子御三家」とは、東京にある「桜蔭」「女子学院」「雙葉」の三校を指す。いずれも才女が通う女子校である。この本では数多の卒業生(OG)たちに取材を試み、また、学校関係者の声をふんだんに反映することで、それまであまり知られていなかった女子御三家の実像を浮き彫りにした。卒業生である彼女たちのほとんどは身振り手振りを交えて母校を懐かしく振り返りながら、嬉々として学校の内情を話してくれた。
では、今回の『男子御三家』はどうか。
卒業生(OB)たちが嬉々として母校を語るのは同様であるが、びっくりさせられたのは男子御三家出身者の母校に寄せる思いの強さである。むしろ、「強過ぎる」と表現してもよいかもしれない。女子御三家出身者たちはどこか冷静で客観視しているような物言いに感じられたのに対し、男子御三家出身者たちは母校を思い入れたっぷりに、ときには感情をあらわにしながら語るのである。
母校とはその漢字の意味する通り「母なる存在」である。女性よりも男性のほうがやはりマザコン要素、母校愛というのは強いのかもしれない。そんなことを感じさせられた一端をまずは紹介しよう。
卒業生たちの母校愛
麻布出身の早稲田大学教育学部四年生に取材を試みた際、彼は麻布のあれこれを思い出して語ってくれたあと、ため息交じりにこう言った。
「麻布の学校生活……。人生であんな楽しかったことも逆につらかったこともない。ぼくは麻布で人生を終えるべきだったといまだに思っています。だから、いまは『余生』を過ごしているわけです(笑)。それこそ三島由紀夫が『本当は戦中で死ぬべきだったのに、生きてしまっている』、そんなふうに語ったことがあるみたいですが、同じメンタリティですね」
何とも大仰な言い回しに感じられることだろう。でも、彼はいたって真面目にそう語るのだ。そして、彼はこうも言い添えた。
「麻布で濃厚な友人関係を築いてしまったので、大学入学後はなかなか親しくできる人を見つけられませんでした。それでも、大学の友人が二人できました。ぼくは麻布の友人たちと同じくらい大事にしたい。同じように、これからぼくがある女性と出会って結婚するんだったら、相手を麻布と同じくらい愛したい」
麻布という学校、麻布の友人、麻布時代の思い出が、彼の価値判断の大切な尺度になっていることがわかる。
開成出身の私立大学准教授に取材をした折、彼は開成に入学した頃を思い出してこんなことを口にした。
「開成に入るまではお山の大将的な意識があったんです。自分より勉強できるヤツはいないだろうと。でも、開成に入ったらただ単に『勉強ができる』というより『こんなに頭のいいヤツがゴロゴロしているんだ』って衝撃を受けました。開成でわたしが得た経験ではこれが一番かもしれません。東大法学部に入ったときも、東大の大学院に進んだときも、開成に入ったときのような衝撃は全く感じられなかったですから」
武蔵出身の公立大学准教授は、母校を語る際にちょっと過激とも思えることばを発した。
「これから先も武蔵のいいところはそのまま残してほしいです。延命させるために学校の教育方針を変えるならば、最終的には衰退して潰れてしまっても構わないと思う」
どうだろうか。彼らのことばの一端に触れただけでも、男子御三家卒業生たちの母校愛の強さがひしひしと伝わってくるだろう。
六年間で身に付けた行動規範
男子御三家卒業生たちの母校愛の強さは、裏返せば中高六年間で身にまとった各校独自の「色」が大人になったいまでも自身の行動規範に多大な影響を及ぼしているということだ。では、それぞれどんなカラーなのだろう。
次のような証言が各校の卒業生から得られた。
麻布出身の卒業生は、麻布生に一脈通じた気質をこう言い表した。
「麻布生は心の広い人が多いと思います。他人の趣味とか活動に介入して乱さないばかりか、『お前すげえな』って互いの秀でているところを認め合うところがありました」
他者を受け容れるには自身の立ち位置が分かっていなければならない、と別の麻布卒業生は言う。
「ぼくが麻布で得たのは、自己を見つめ、自身をしっかりと表現する力です。自分がどういう人間かを考えさせられる機会が麻布では多かったからでしょう。たとえば、誰かと知り合うときに、いろいろな過程を経てその人と距離が近くなっていくわけですけれど、麻布でそういう過程をある意味早送りするような力を得たような気がしています」
麻布出身の大学四年生は、「麻布では個を出さなければやっていけない」と語る。
「麻布での生活は、どれだけ自分の個性を出せるかにかかっている。個性的であらねばならないっていう雰囲気が学内に満ちていました。その場を面白く盛り上げることに懸命になっているヤツが多いし、とにかく目立ちたくて仕方のない人種ばかり」
それでは、開成生のカラーはどういうものだろう。
開成卒業生の一人は、同級生たちに共通する性質が確かに存在していたと振り返る。
「在学中に感じていたのは、開成の人たちはみんなそれぞれ何か秀でている、突出しているところがあるという点です。勉強ができるのは立派なことだ、スポーツができるのも立派なことだ、自分の趣味をとことん突き詰めることも立派なことだ。こういうように多面的な尺度でものをみて、それぞれが持っている強みを素直に受け入れていく。多様性に開かれている懐を持っている人が多かったし、わたしは居心地がよかったですね。卒業してからも開成出身者たちからその性質は変わらず感じられます」
続いて武蔵生はどうなのだろうか。
教育業界に勤める武蔵の卒業生は、中高時代に受けた教育がいまでも自身の中に息づいているという。
「ぼくは人から『それってこういうものだろ』って言われたとしても、すぐに受け入れるようなことはしません。それを自分で徹底的に調べないと納得はできないんです。自ら書籍を読んだり、必要ならば足を運んだり、探究的な姿勢は武蔵で培われたと確信しています。そういえば、武蔵時代の同級生は学者や医者がとても多い。どちらも探究心が大切な職業ですよね」
そうなのである。わたしは今回本書を著すにあたって、男子御三家各校の卒業生たちに直接取材をおこなったが、それぞれに「麻布的な何か」「開成的な何か」「武蔵的な何か」を確かに感じ取ることができたのだ。
「鬼才」の麻布、「秀才」の開成、「変人」の武蔵
前著『女子御三家』の取材をおこなった際に、わたしはそれぞれの学校出身者に一脈通じる性質に言及した。桜蔭は「勉強のみならず、さまざまな分野において吸収力に傑出した女性」、女子学院は「自己責任感の強い成熟した女性」、雙葉は「ときに『したたか』に感じられるほど処世術に長けている女性」である。
その学校別の典型的なキャラクターをわたしは「空き缶」のたとえ話に落とし込んだ。
もし道端に空き缶が落ちていたら?
桜蔭生……すぐさま拾い、ゴミ箱へ捨てにいく。(理系・医系の生徒は、捨てにいく途中で缶に記された原材料や成分をチェックする)
女子学院生……考え事にふけっていたため、缶が落ちていることにそもそも気づかない。
雙葉生……誰が捨てにいくのかを決めるジャンケン大会が始まる。(ただし、他人が通りかかったら、その人に見せつけるようにそそくさと捨てにいく)
同じように、男子御三家各校に共通する性質についてのたとえ話を作ってみようと考えた。
わたしの経営する中学受験専門塾スタジオキャンパスのスタッフたちと男子御三家各校のたとえ話を考えてみたら、夜遅くまで盛り上がってしまった(スタッフには開成出身者が二名、武蔵出身者が一名いる)。
その結果、「プラモデル」を用いたたとえ話がぴったりだね、という結論に達した。
もし複雑なプラモデルを組み立てるのであれば?
麻布生……組立説明書は無視、感覚だけで独創的かつ味のある逸品を製作する。
開成生……組立説明書を一言一句しっかり読み込み、精巧で完璧な作品を製作する。
武蔵生……組立の途中で各パーツにのめりこんでしまい、なかなか作品が完成しない。
いかがだろうか。各校のキャラクターがなんとなく見えてきたのではないか。
さらに、男子御三家各校の在校生・卒業生たちの個性は、二字熟語でシンプルにまとめることができる。
麻布は「鬼才」。
開成は「秀才」。
武蔵は「変人」。
もちろん、どれも「褒めことば」である。男子御三家各校の卒業生たちに取材を重ねていくと、それぞれに共通する「才知」がひしひしと感じられたのだ。
なぜ、このようなキャラクターを各校が培っていくのか。
本書では、『女子御三家 桜蔭・女子学院・雙葉の秘密』(文春新書)の著書がある中学受験専門塾代表の矢野耕平氏が、教え子をはじめ数十人の男子御三家卒業生への取材を元に、各校が求める生徒像や6年間の学園生活を詳述している。








