その翌朝から、私は本格的に『万葉集』の英訳に取り組みはじめた。そのときまで私は『万葉集』の原文をきちんと読み込んだことはなかったので、とても新鮮な感覚があった。最初の印象はとりとめもないものだった。平安時代の和歌には「私」に相当する言葉はあまり出てこないのだが、『万葉集』では「私」や「あなた」を意味する単語が数多く使われているため、万葉の歌は直接的で、率直で、庶民的な印象を与える。しかし、その印象は必ずしも正確ではないということがわかった。
漢字を使った言葉遊びも『万葉集』の魅力のひとつだ。この時代、都は京都ではなく、朝廷は遷都を繰り返していた。人の名前も平安時代とは大きく異なる。とても長々しく、神話に登場する神々の名前のような響きだが、実在の人物の名前である。『万葉集』は実際に生きた人々の記録なのだ。人間と自然の距離は平安時代よりも近い。シャーマニズムの要素には驚かされ、感銘を受けた。悪天候は当時の人々にとって大きな脅威であり、旅に出ることは生命の危険を意味した。社会構造は流動的で、殺人や戦争は珍しいことではなかった。翻訳者泣かせの枕詞も多用されている。人間の世界と神の世界の距離はとても近く、自然に美を見出す感性や、自然と人間が一体のものであるという感覚も非常に強い。
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