2019年11月、すっかり肌寒くなったソウルの街を訪れた。2019年3月まででソウル勤務を終えた私だが、2~3カ月に一度は韓国を訪ねている。
私が初めてソウルの土を踏んだのは1999年9月。ちょうど20年前のことだった。それまでは1996年6月に済州島(チェジュド)で開かれた日韓首脳会談を取材したことが、唯一の韓国体験だった。当時の朝日新聞政治部では、「これからの朝鮮半島は安全保障が重要だ。政治部からソウル特派員を出すべきだ」という声が強くなっていた。1998年夏に北朝鮮が発射した弾道ミサイル「テポドン1」が日本列島を飛び越える事件があったからだ。当時の政治部員たちは「海外に行くならワシントンか北京」と考える者が大多数で、ソウルは不人気だった。地方記者出身で政治部の下っ端だった私は、会社に命じられるがままに韓国留学の道を選んだ。
当時の私が知っている韓国語と言えば、キムチとかプルコギといった程度。留学して
ばらくは、韓国人に何を言われても「ケンチャナヨ(大丈夫)」としか答えられなかった。
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