私は1995年当時、江藤隆美総務庁長官の担当だった。江藤は気さくな人だったのだが、ある日、オフレコの懇談で「日本は朝鮮半島に良いこともした」と語った。それが韓国紙にすっぱ抜かれ、最終的に江藤は総務庁長官の職を辞任した。最後の会見を終えた後、総務庁のエレベーターの中で、追いすがる我々に向かって敬礼のポーズを取った江藤の姿を昨日のように思い出す。江藤は正直な人でもある一方、こうした発言をオフレコにしてくれと要請したこと自体、韓国社会に対する遠慮あるいは配慮のようなものもあったと思う。ところが、今では日本も韓国も、政治指導者たちがオンレコで堂々と「韓国は安全保障で信用ならない」とか「日本はもっと謙虚になれ」とか言い合う。
こういう現象をたがが外れたというのだろうか。社会は、こうした空気を敏感にかぎ取り、お互いの関係が急速に悪くなったという思いがある。
でも、私はそのような「空気」の変化を十分に、ソウル発の原稿に込めることができなかった。日々の原稿に追われすぎて余裕のない生活をしていた。
ソウルでの生活は大体、平日は朝暗いうちに、アパート近くの米軍基地の周辺をジョギングした後、出勤。平日の昼と夜は必ず会食があり、自宅に戻ればいつも夜11時ごろだった。土日も北朝鮮のミサイル発射があったり、たまったメモの整理、自分が書きたい本の執筆などで、ろくに旅行に出ることもしなかった。
ただ、誰よりも多くの韓国人と言葉を交わしたという小さな自負心は持っている。
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