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甲子園を沸かした、金足農業のナンセンスな野球力

甲子園を沸かした、金足農業のナンセンスな野球力

中村 計

『金足農業、燃ゆ』(中村 計)


ジャンル : #ノンフィクション

『金足農業、燃ゆ』(中村 計)

「そろそろくんなと思ったら、きましたね」と高橋。

 外角低めの変化球だった。斎藤はボールの勢いをバットでうまく殺し、三塁側に転がした。

 好スタートを切った高橋は、近江の三塁手・見市智哉が捕球した時には、すでに本塁へ頭から滑り込んでいた。

 その高橋に負けず劣らず好スタートを切っていたのが二塁走者の彪吾だった。高橋がホームに還ったときには、すでに三塁ベースを蹴っていた。2ランスクイズだ。一度のスクイズで一気に二点を奪う戦術である。金足農業に2ランスクイズのサインはない。彪吾の「勝手」な判断だ。

「スクイズのサインが出る前から狙ってました。サード側に転がったらいけるな、と」

 三塁コーチャーの船木弦は慌てて右手を出して彪吾を制止しようとしたが、彪吾はまったく見ていなかった。

 ただ、三塁コーチャーとしては当然の仕事である。船木は自信たっぷりに主張した。

「点を取り急ぐ場面ではない。ギリギリのタイミングでしたから。まずは一点とって同点にして、ワンアウト満塁で一番に回す。そっちの方が点数を取れる確率は高い。あそこで手を回していたら、それは自分が試合を冷静に見れてないということだと思います」

 彪吾の「いける」に明確な根拠はなかった。強いて言えば、高橋と同じように、グラウンドに立っている者の勘だ。

 サードの見市は一塁へ送球する際、ほんのわずかだが握り直した。今にして思えば、その0コンマ何秒が命取りになった。

 一塁手の北村恵吾は捕球後、すぐに本塁へ放ったが、送球がやや三塁方向へ流れた。そのぶん、捕手の有馬のタッチは滑り込んできた走者を追いかける形になった。

 彪吾はキャッチャーミットをかいくぐるように頭から突っ込み、左手でベースをタッチする。主審は右膝をつき、両手をきれいに横に広げた。

 それを確認した彪吾は、立ち上がり、「おりゃあー!」と叫び、右拳を上から被せるようにして突き出した。

「あのとき、初めて野球を楽しいと思いましたね」

単行本
金足農業、燃ゆ
中村計

定価:1,980円(税込)発売日:2020年02月25日

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