「ここにしかない価値」
渋谷スクランブルスクエアのTSUTAYA BOOKSTOREで打ち合わせを終えた後、エスカレーターを下りながら又吉さんに送った一通のLINEが、すべてのはじまりでした。
「一緒に本、作りませんか? 3月29日に新しくオープンする『羽田空港 蔦屋書店』その場所に行かなければ買えない本です」
いま振り返ると、なぜあんなにも思い切った提案ができたのか、自分の行動にびっくりしてしまいます。
作家にとって、作品は命。私は読者として、その吹き込まれた命に何度も救われてきました。本屋で働くようになってからは、作家にとって自分の作品が店頭に並んでいること自体が、実はまったく当たり前の景色でないことを、彼らの語る言葉や表情ひとつひとつから感じ取ってきました。自分の本を棚に見つけて、「信じられない」という表情を浮かべている作家を何度も見ました。その本を買う人を見て、「読者って本当に存在していたんですね」と驚く姿には、こっちが驚かされました。本に宿った命は、人の手に渡って初めて動き出すのだと、彼らが教えてくれたのです。
又吉さんは、作家としても読者としても、本屋に本があることがいかに特別であるかを分かっている人です。だからこそ自作に対しても厳しいまなざしを崩さない。そんな彼と、それでもあのとき、「一緒に本を作りたい」と思ったのはなぜだったのか。
知りたかったんだと思います。又吉さんが創作に立ち向かったとき、どのようにして、アイデアを形にしていくか。「太宰治」という共通項を取り払ったとき、それでも私は彼の表現する世界に付いていけるか。本を作るとはどういうことか、「本と場所をつなぐ」とはどういうことか。誰よりもまずさきに、彼の行動に学びたかったんだと思います。
あまりに見切り発車で言葉足らずだったそのLINEさえ、又吉さんは「声」として受け止め、続きを待っていてくれました。
その日限りで終わってしまう「イベント」ではなく、その日その場所から帰った後も、その人の人生とともに歩む「体験」を企画したい。数日後、改めて趣旨を伝えると、又吉さんは「やりましょう」と一言。その静かに発せられた言葉が、すでに激しく躍動していたことを、私はその後に訪れる、これまで経験したことがない濃度とスピードの日々のなかで知っていくのでした。
企画書を作成し、蔦屋書店チームと吉本興業への提案を進める間にも、又吉さんからは次々とアイデアが届きました。
収録作品は、短編小説、エッセイ、掌編、自由律俳句。少数限定制作で、価格設定はお手頃に。関わるスタッフも極力ミニマムにして、顔の見える距離感で制作。そしてなにより、その場所に行かなければ出合えない本であること……。
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