岸田 「悲しい」「苦しい」っていう感情しかなくて、言葉にすると余計に思い出して落ち込むし、それを聞かされる他人もかわいそうだなと思ったので。
佐渡島 言葉にすると、できごとの意味も変わっちゃうから、しない方が良い時もあると僕は思ってます。南アフリカに住んでいた時に、通っていた学校の先生が殺されてしまったことがあって。
岸田 ああ……。
佐渡島 ものすごく大きな衝撃だった。そのときの友人たちとは、今でも集まろうと思えば集まれるんだけど……思い出話をすると、必ずその先生のことが頭をよぎってしまう。だから、すごく濃い縁ができたのに、同窓会を開こうとなりにくい。
岸田 過去を話すことは、自分も他人も傷つけてしまうんですね。
佐渡島 うん。でもそういう時の“傷”って、避けるべき悪いことなのかとも、考えることがある。岸田さんが感じた傷、お父さんが感じた傷、ふたりが向き合って生まれた傷がそれぞれあるわけで。そういう傷自体が、絆の深さでもあるわけで、思い出さないことで全部なかったことにしてしまっていいのだろうかと。
岸田 わたしは、父から学んだことや、一緒にいて楽しかったことをじっくり思い出して、文章にして、ようやく父との傷に向き合い、癒せるようになったのかもしれません。
佐渡島 村上さんと同じ、文章で自分を癒やすささやかな試みを岸田さんもしたのだと思う。岸田さんはお父さんとの傷を見つめることで、絆を再構築しようとしたんですね。
岸田 だけど、ずっと自分のなかにモヤッとした後悔があったんです。父との大切な思い出を、わたしの勝手な解釈で、文章にして発信してしまうことに。記憶は曖昧だから、私の思い込みも、間違いもあるかもしれない。それは父に対して、嘘をついていることになるかもしれないって。
佐渡島 お父さんとの関係が壊れてしまうかもしれないって?
岸田 はい。でも『猫を棄てる』の88ページで、村上さんが、〈考え方や、世界の見方は違っても、僕らのあいだを繋ぐ縁のようなものが、ひとつの力を持って僕の中で作用してきたことは間違いのないところだった〉と書いていて、涙がぼろぼろこぼれました。お父さんがどう捉えていたかはわからないけど、わたしはわたしのために、お父さんのことを書いていいんだって許されたような気がしました。
佐渡島 そう思います。岸田さんは「嘘」と「再構築」の区別がついていないから、つらかったんじゃないかな。
岸田 ああ、たしかにそうです。『猫を棄てる』には、お父さんに対する村上さんの憶測や断片的な記憶がいっぱい書かれているけど、嘘とは思いませんでした。
佐渡島 岸田さんがこれから作家として向き合っていく文学的なテーマが「嘘」というのはすごくいいかもしれない。なにをもって嘘とするのか。
岸田 村上さんの作品を読むことで、文学的なテーマまで見つかってしまった……。読んでよかったです。
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