「母上、どうやら間に合わなかったようですね」
背後で頼家の声がしたので、政子が振り向いた。
「ようやく、お越しでしたか」
「はい。馬を飛ばして駆けつけてきました」
「それは本当ですか。あれほど『急いでお越し下さい』と申し上げたのに、使いを出してから二刻(約四時間)は経っています。本当に急いでいたのですか」
頼家を前にすると、どうしても非難めいた口調になってしまう。
「もちろんです。しかし雑務が多くて、あれやこれやと指示を出しているうちに、時間ばかりが経ってしまいました。三幡の死に目に会えなかったのは、慙愧に堪えません」
そう言うと、頼家が隣に座した。
「三幡、苦しかったか。だがもう苦しみは去った。これからは仏の許で修行に励むのだぞ」
だがその言葉に、感情が籠もっているようには思えない。
「三幡は血を分けた妹ではありませんか。その雑務とやらは、それほど急を要するものなのですか」
「母上」と言いつつ頼家がため息をつく。
「そもそも、それがしへの直訴を禁止し、十三人の宿老(取次役)などという制度を設けたため、さような仕儀になったのですぞ」
頼家が将軍になってから六日後の四月十二日、頼家に親政は無理と判断した時政や大江広元らは、「十三人の合議制」と呼ばれる制度を発足させた。というのも、すでに頼家には同年配の側近たちがおり、彼らを重用するのが明らかだったからだ。そのため時政や大江広元らは、先手を打ったのだ。
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