島田長官は沖縄戦史にも登場する名だが、鉄血勤皇隊が結成され、陸軍第三十二軍命令で「有事の際には、戦闘に参加させる」とあるのを、「戦闘部隊ではない」と明言し、軍命令に抵抗を示した。
吉村氏も沖縄戦敗北の日、「島田長官が海中に入って命を断ったらしい」との伝聞を、追悼の意をこめて紹介している。
取材メモを見ると一日に六名。朝十時から午後八時までの濃密なインタビューの日程が組まれている。米軍の上陸戦は三月二十六日の慶良間(けらま)列島にはじまり、五月下旬、陸軍司令部は首里から摩文仁(まぶに)の丘に退却した。
この間、一般住民九万四〇〇〇名が戦場で亡くなり、軍による県民虐殺、また軍自身による降服志願者への銃撃……いまなお沖縄県民を巻きこんでの牛島満軍司令官、長勇参謀長の責任を問う声が多い。
吉村氏の取材は当然のことながら、鉄血勤皇隊一七八〇名、師範学校女子部、県立第二高女などの女子生徒五八一名が、従軍看護婦として野戦病院ではたらかされた事実を追っている。
彼女たちもこれら悲惨な戦場の現実を身に沁みて体験しているはずだが、吉村氏を驚かせたのはつぎの一言である。
「(生き残った)彼女たちの口からもれる回想は、私の想像をはるかに越えたものだった。
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