近代日本の総力戦体制については多くの研究があるが、そこで指導者の果たした役割の検討──いわば指導者論は今後の課題となっている。吉田裕は、大衆指導者としての東條に注目し、ラジオや新聞などのメディアを利用して「果断に行動する戦時指導者」としての自己演出を図ったと指摘している(吉田裕『シリーズ日本近現代史(6)アジア・太平洋戦争』)が、軍人としての東條があるべき軍隊・戦争像をいかに認識し、国民大衆に訴えたかについては、国民の反応とあわせ、より詳しく論じられてよいと考える。
「総力戦」指導者としての東條を論じるにあたり、手がかりとして一九四四年に東條が行った、ある有名な発言を挙げよう。
東條は一九四四年三月一一日、明野陸軍飛行学校(三重県)を視察し、同校生徒と「敵の飛行機は何によって墜すか?」「自分は気魄によって体当りをしても墜します」という問答を繰り広げた(伊藤隆ほか編『東條内閣総理大臣機密記録』)。同年五月四日には航空士官学校(埼玉県)を視察し、学生に向かって「敵機は精神で墜とすのである。したがって機関砲でも墜ちない場合は、体当たり攻撃を敢行してでも撃墜するのである」(陸軍航空士官学校史刊行会編『陸軍航空士官学校』)と訓示した。
これらの発言は今日でも、“竹槍でB-29を落とせという日本軍の精神論”などと形を変えて語り継がれ、日本軍の精神主義を批判する論拠の一つになっている。飛行機を精神力で撃墜することは不可能であるからこの批判は正しいし、研究者の評価も当然低い。
だが、東條はいやしくも戦争のプロ、高級軍人でありながら、本当に飛行機よりも精神力を重視するような非合理的な精神主義のみで、総力戦たる対米戦争を指導していたのだろうか。抜き打ち視察は単なる人気取りに過ぎず、物的戦力は軽視されていたのだろうか。必ずしもそうではなく、東條は軍人、戦争指導者として一九三〇年代以降、航空戦と総力戦を相当に重視し、それを国民に語りかけてもいた。東條の行動の背後には、彼なりの戦争指導者としての自己意識や使命感があったのである。「総力戦」指導者としての東條の実像を、その発言や行動に基づき明らかにすることが、本書の目的である。
(「はじめに」より)
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。