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小さな手帳とノートに綴られた貴重な心の声――作家・藤沢周平の源流

小さな手帳とノートに綴られた貴重な心の声――作家・藤沢周平の源流

文:後藤 正治 (ノンフィクション作家)

『藤沢周平 遺された手帳』(遠藤 展子)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #随筆・エッセイ

『藤沢周平 遺された手帳』(遠藤 展子)

「暗殺の年輪」は、積年、政争が絶えない藩を舞台に、剣名高き葛西馨之介(けいのすけ)が、藩重役たちより辣腕家の中老暗殺を依頼されるのが物語の発端。かつて父も政争の中、不可解な横死を遂げた。いったん断った馨之介であったが、母と中老の間の醜聞を耳にし、過去の真相に迫っていく……。

 この後、藤沢は鶴岡の旧庄内藩をモデルにした「海坂(うなさか)藩」を舞台に、数々の短編・長編を書き記すが、原型的な作品ともなっている。どの勢力を問わず、権力というものに対するさめた視線は動かない。

 雑記ノートには、歴史小説として実を結ぶ『逆軍の旗』『雲奔る』『義民が駆ける』の覚え書きや資料収集メモなども見える。

 【流行作家になる積りは全くないので、文学の匂いがする時代物の完成に全力を盡すべきだろう。その喜び以外に小説を書く理由があるとは思えない】

 という一文が見えるが、以降、これも動かぬ藤沢の立ち位置だった。

 

 本書を読んでいて、ああそうだったのか、と謎がとけるように思えた事がある。

 藤沢は次男で、長男がいた。出征し、帰国したのは敗戦の翌年。展子にとって伯父に当たる人だが、好人物で、副業の資金づくりのために借金を重ね、田舎から姿を消した時期もあったとか。

 初期の秀作「又蔵の火」「木地師(きじし)宗吉」「闇の梯子」は、物語の主軸ではないが、“兄思い”の色調が濃い物語である。「闇の梯子」の主人公は若き板木(はんぎ)師・清次。病身の妻を抱えた働きものの職人だが、身内には故郷を捨ててやくざ者になった兄・弥之助がいる。

《博奕と女に溺れて家を潰した弥之助を、周囲の人間は、憎み汚い言葉で罵り続けたが、清次には家がどうなるだろうかという不安はあっても、弥之助を、していることのために憎んだ記憶はない。弥之助が清次に残したものといえば、そういう男の傷ましさのようなものだったのである。弥之助は決して楽しそうでなく、暗い考え込む顔をし、無口で、いつも疲れているように見えた》

 三作、いずれも弟は兄に対してやさしい。兄を見詰める弟の視線には、藤沢の個人史が投影しているところもあるのだろう。

 

 【今日で新年の休暇も終わり。あすからまたサラリーマンに戻る】

 昭和四十七年一月四日の一文である。藤沢の業界紙勤務は、日本食品経済社など十五年に及んでいる。筆一本で立つのは直木賞受賞の翌年であるが、この間の事情を、展子はこのように書いている。

文春文庫
藤沢周平 遺された手帳
遠藤展子

定価:770円(税込)発売日:2020年09月02日

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