
第二条、第九条、第十三条、この三つは大変ドラマティックだし、物語性も高い。よくこれを著者が書き残してくれたと思います。これらがあるために、親鸞の人格をうかがい知ることができるのです。なにしろ、親鸞は自分のことについてはほとんど書き残していないのですから。
また、親鸞自身よりも『嘆異抄』に帰依したような人もいます。実は、『嘆異抄』の内容は、親鸞の思想とは異なっているという指摘もあります。しかし吉野秀雄(※一九〇二~六七年、歌人・書家。主著に『吉野秀雄歌集』)という歌人は、それでもいいと言っています。「俺は親鸞じゃなくてもいいんだ。俺は『嘆異抄』宗になるんだ」と語っていたそうです。
また、日本独特の哲学を講じてきた西田幾多郎(※一八七〇~一九四五年、哲学者・京都大学名誉教授。主著に『善の研究』『哲学の根本問題』)も、第二次世界大戦で空襲で燃える街を見たときに、「いいんだ、俺には『嘆異抄』と『臨済録』(※唐の僧・臨済の言行録)があれば生きていけるんだ」と言い放ちました。
その西田の友人で、欧米に禅を紹介したことで知られている鈴木大拙(※一八七〇~一九六六年、明治~昭和期の仏教哲学者。主著に『大乗仏教概論』『禅と日本文化』)は親鸞について、「『教行信証』(※浄土仏教を体系的に明らかにしようとした親鸞の主著)は明らかに親鸞の思想書であり、研究書であって、親鸞の生の声を聞くには『嘆異抄』、もしくは『和讃』(※仏教における和文の讃歌。親鸞は五百首以上創っている)だ」と言っています。
確かに、生の声を聞けるというのは大きい。法然(※一一三三~一二一二年、浄土宗の宗祖。主著に『選択本願念仏集』)の語りを直弟子たちが書き残したものはたくさんあるのですが、親鸞の場合、『嘆異抄』以外ゼロです。性信(※一一八七~一二七五年)という、横曾根門徒のリーダーが、『真宗聞書』という親鸞のお話を書いたものがあったようですが、これは現存せず、タイトルだけが残っています。今に残るのは『嘆異抄』のみなのです。
さて、今取り上げた以外にも多くの人々が、『嘆異抄』に道を切り開いてもらった、『嘆異抄』との出逢いによって後の人生を生き抜いた、と語っています。そのように、数多の人々に影響を与えた『嘆異抄』ですが、今なお残された謎も多いのです。本文の解説をする前に、その謎のいくつかを、成立背景と共に紹介しておきましょう。