
ところで、「『嘆異抄』というのは近代になって、清沢満之(※一八六三~一九〇三年、真宗大谷派の僧侶・哲学者)たちが取り上げて有名になり、それ以前は全然知られていなかった。読む人も、知っている人もいなかった」などとも言われますが、そんなことはありません。江戸時代に、少なくとも五回は刊本になっているので、真宗関係者は読んでいたはずです。世間一般には広まっていなかったのかもしれませんが、刊本を元にした研究書も江戸時代にはあります。
江戸時代に刊行されたものを挙げると、『嘆異抄私記』、『元禄四年本』、『首書嘆異抄』、『真宗法要本』、『真宗仮名聖教本』などがあります。これらにも、流罪記録があるものとないものに分かれますが、いずれも蓮如の付言があるので、この五回の刊行の底本は「蓮如本」だと考えられます。
近代になって、『嘆異抄』を通じた思索が一際深まったのには、やはり理由があります。宗教思想や哲学が欧米からやってきた時に、日本で罪や悪の問題と向き合ってきた書として、とりわけ『嘆異抄』が注目されたのです。
『嘆異抄』の構成
『嘆異抄』の構成は、「序文」、「師訓編」、「中序」、「異義編」、「後序」、「流罪記録」、となっています。
第一条から第十条までが親鸞の語録であり、「師訓編」と呼びます。その後、第十一条から第十八条までが、当時の異端を嘆いた内容になっている「異義編」、いわばこれが『嘆異抄』の本体の部分です。当時流布された間違った解釈・異端・異説を、「あんな自分勝手なことを言っている人がいるなんて、悲しいなあ」と嘆くのです。
つまり『嘆異抄』の内容は、第一条から第十条と、第十一条から第十八条の、大きく二つに分けることができるのです。そして長いあとがきである「後序」があります。
「第一条」や「第十八条」といった見出しが載っているわけではありません。第○条とは、後世の呼び方です。
全部合わせても原稿用紙三十枚くらいです。わずか数十文字の条もあるので、読むだけならすぐです。だが、内容となると、なかなかすんなりとはいきません。