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身体に潜んで、絶体絶命のときに我々を導いてくれる『歎異抄』その成立背景と謎に迫る

身体に潜んで、絶体絶命のときに我々を導いてくれる『歎異抄』その成立背景と謎に迫る

釈 徹宗

『歎異抄 救いのことば』(釈 徹宗)

出典 : #文春新書
ジャンル : #ノンフィクション

『歎異抄 救いのことば』(釈 徹宗)

 ですが、『本願寺系図』や『日野一流系図』に印信(範意)という第一子がいたという記録が残っており、これが誰なのかよくわかっていません。親鸞の子供だとするなら、恵信尼の前に誰かと結婚してできた子供だろうと思われます。

 親鸞の現存する最後の手紙に、「即生房と今御前の母は大変苦労しているので、皆さんどうか助けてあげてください」と書いてあるものが残っています。「もう自分は何もしてあげることはできません、だから皆さん助けてあげてください」とあります。

 この今御前の母とは覚信尼のことではないかと言われていますが、即生房が誰のことかわからない。印信じゃないかと言われています。どんな事情があったのかわかりませんが、親鸞は離れて暮らすようになった子供のことを気にしていたのかもしれません。

 さて、親鸞の最期を看取った末娘の覚信尼は、父が亡くなったことを知らせる手紙を越後の母に送ります。その返信が大正時代に本願寺の蔵から見つかり、親鸞に関するいくつかのことがわかることとなったのですが、それはまたの機会に取り上げます。

 覚信尼は父の御廟などを守る役を果たすのですが、この御廟が後の本願寺へとつながっていくのです。この覚信尼の息子に覚恵という人がいました。その覚恵の息子に覚如がいて、『嘆異抄』はこの覚如が書いたんじゃないかと考えられたのです。

 というのも、『嘆異抄』は覚如の著作と内容が重なるからです。しかも『嘆異抄』よりも細かく書かれているので、この人が作者だろうという説が生まれたのです。ところが序文を読むと明らかにわかるのですが、この『嘆異抄』を書いた人は、親鸞から直接話を聞いています。覚如は曾孫なので、直接会っていません。それが覚如説への反証となります。

 その他に出たのが如信(※一二三五~一三〇〇年、親鸞の孫)説です。寿国という人が『嘆異抄可笑記』という本の中で、如信が作者じゃないかと主張します。実はこの『嘆異抄可笑記』に、初めて「悪人正機」という用語が用いられます。悪人正機という言葉は、『嘆異抄』の中には一度も出てこないのですが、江戸時代の宗学用語として成立するわけです。

 如信というのは、善鸞の子供です。如信は直接親鸞に教えを受けています。覚如はこの如信に宗義を教わっていまして、覚如が『嘆異抄』と同じ内容を著したのも、如信から聞いたからに違いない……というわけで如信説が成立します。

 深励(※一七四九~一八一七年。主著に『教行信証講義』)という、江戸時代の『嘆異抄』研究書の傑作と言われている『嘆異抄講義』の作者がいます。この深励は、現在の大谷派(通称、東本願寺)の宗学の巨人です。その深励も、この如信説を唱えている。しかし、その深励の弟子の了祥(※一七八八~一八四二年)という人が、師匠とは別の説を唱えました。それが唯円(※一二二二~八九年、親鸞の常陸時代の直弟子)説です。唯円が著者だとする説は、江戸時代からあり、玄智(※一七三四~九四年)や履善といった本願寺派の学生も唱えています。

文春新書
歎異抄 救いのことば
釈徹宗

定価:1,122円(税込)発売日:2020年10月20日

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