あざやかに思いうかぶのは、泉鏡花の描写する川面に橋上から溌溂と跳躍する少女の姿である。
深川の橋上と言うより、それは端的に言えば「本」の中で空を跳んで足もとのあやしい舟上に自在におりたった「娘」の姿の描写なのだが、その姿をおのずと思い出させたのが、山尾悠子の〈実質的処女作〉である「夢の棲む街」を読んだ時の印象である。山尾悠子は、そう、次のように鮮かに登場したのではなかったか。
関東大震災から四年後、「案内者」と共に雨のふるなか、深川を訪れて散策する鏡花は「橋の上を、ぬほりとして大きな馬が、大八車を曳きながら」通るのを見ていると、「ハッと思うほど、馬の腹とすれすれに、鞍から辷った娘が一人。……白地の浴衣に、友禅の帯で、島田らしいのが、傘もささず、ひらりと顕われると、馬は隠れた、――何、池のへりの何の家か、その裏口から出たのが」橋の上を通る馬の姿と重なったのだが、娘は「中の暗い工場の裏手の廂下」を「白地をひらひらと蝶の袖で伝って」、友禅の帯が「真赤に燃ゆる火」か、しなやかにつるを巻きつける凌霄花かずらのように水に影を投げ、「娘がうしろ向きになって、やがて、工場について曲る岸から――その奥にも堀が続いた――高瀬船の古いのが、斜に正面を切って、舳を蝦蟆の如く、ゆらゆらと漕ぎ来り、半ば池の隅へ顕われると、後姿のままで、ポンと飛んで、娘は蓮葉に、軽く船の上へ。」
えんえんと書き写したくなる誘惑にかられる文章(「深川浅景」『鏡花紀行文集』岩波文庫)の中で蝦蟆の如き舟上にひらりと落りたった娘について鏡花は続けて書く。
「父さんに甘えたか、小父さんを迎えたか、兄哥にからかったか、それは知らない。振向いて、うつくしく水の上で莞爾した唇は、雲に薄暗い池の中に、常夏が一輪咲いたのである。」
通常の小説の描き方の空間意識とは異なるものとして『夢の棲む街/遠近法』という言葉は選ばれたのに違いないのだが、私としてはこの遠近法という言葉を「時間」をさすものとして使いたいのだ。なぜなら、おそらく「SF」と呼ばれるジャンルに対する、意味のない訳ではない軽侮まじりの違和感から読書の視野に入らずにいたせいで、「文學界」に載った「飛ぶ孔雀」(二〇一三年八月号、一四年一月号)から逆遠近法とでもいうべき順序で山尾悠子の小説を読むことになった読者としては、《時間錯誤》というか「本」が読者をひきこむ逆遠近法を使用して「深川浅景」に描かれた現実の娘なのか鏡花の筆による描写の夢が空に浮かびあがらせた花の精なのかは知らずこの文章こそが、初期作品選である文庫『増補 夢の遠近法』の、帯とか腰巻と呼ばれているうちにいつの間にか慣れてしまい淫猥さを忘れてしまっていたものの、鏡花と結びついてみれば、花や羽や翼と同義語でもあるのだし、女性的な布地である帯という場所に書かれるのにふさわしい賞讃の言葉だと思われるのだ。