として、なぜ天皇が、安倍政権による改憲の動きが加速するタイミングで「おことば」を発したのかの意味について考察する。象徴としての存在に徹しようとする天皇が、自民党改憲草案に示される「元首」をもっとも忌避するのは当然なのである。著者の結論に、私はもろ手を挙げて賛成である。
自民党による、あるいは安倍政権による改憲のもう一つの側面はアメリカだというのが著者の創見である。「自民党が進めようとしている改憲の最後のハードルになるのは野党ではなく、天皇とホワイトハウスだというのが私の予測です」と、著者は言う。
詳しくは「改憲のハードルは天皇と米国だ」や「対米従属国家の『漂流』と『政治的退廃』」などの章をお読みいただきたいが、「2005年の国連常任理事国入りの失敗」を契機として、
「対米従属を通じての対米自立」という戦後60年間続いた国家戦略は事実上終焉したのである。そして、それからあとは「対米自立抜きの対米従属」という国家の漂流と政治的退廃が日本を覆うことになった。 (「対米従属国家の『漂流』と『政治的退廃』」)
という認識には、なるほどと頷かざるを得ない。卓見だと思う。詳しくは、お読みいただくほかはないが、最後に掲げておきたい次のような著者の言説は、直接には安倍自民党による改憲草案を論じたものであるにもかかわらず、それはそのまま新たに出発したばかりの、現・菅自民党の現状と行く末を鋭く描き出した、見事な分析になっているのではないだろうか。やはり快感であり、カタルシスを感じるのである。
自民党の改憲草案は今世界で起きている地殻変動に適応しようとするものである。その点でたぶん起草者たちは主観的には「リアリスト」でいるつもりなのだろう。けれども、現行憲法が国民国家の「理想」を掲げていたことを「非現実的」として退けたこの改憲草案にはもうめざすべき理想がない。誰かが作り出した状況に適応し続けること、現状を追認し続けること、自分からはいかなるかたちであれ世界標準を提示しないこと、つまり永遠に「後手に回る」ことをこの改憲草案は謳っている。歴史上、さまざまな憲法草案が起草されたはずだが、「現実的であること」(つまり、「いかなる理想も持たないこと」)を国是に掲げようとする案はこれがはじめてだろう。 (「改憲草案の『新しさ』を読み解く」)