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阿津川辰海×斜線堂有紀「特濃ビブリオバトル! 白熱の2万字対談」

阿津川辰海×斜線堂有紀「特濃ビブリオバトル! 白熱の2万字対談」

聞き手:「別冊文藝春秋」編集部

電子版35号

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #小説

自分の回路を拓いてくれた作品たち

阿津川 斜線堂さんははやみね先生からストレートに新本格に入ったんですか?

斜線堂 そうですね、そこは一直線でした。

阿津川 私の場合、はやみね先生と同時に「ダレン・シャンシリーズがとても好きで、そこからダークファンタジーに入りました。ガース・ニクスの『セブンスタワー』とか、スティーヴン・キングの『ダークタワー』とか。そして同時期に伊坂先生の『オーデュボンの祈り』に出会って、その寓意性から生じる浮遊感がすごく肌に合ったんです。

 さらにその頃、クラスでテレビドラマ『ガリレオ』がものすごく流行っていたので、原作である『探偵ガリレオ』と『予知夢』を買って読んでみたら、これまた東野圭吾先生にはまってしまい、『容疑者Xの献身』で頭をぶん殴られるような衝撃を受けるわけです。そのまま東野先生を読み漁っていたら、家族から「これも好きなんじゃない?」と宮部みゆき先生を薦められ、その三人の方の作品を読んでいたところ、さっきお話ししたミステリーマニアの司書さんから『十角館の殺人』を教えてもらい、新本格ルートに入ったという流れです。

斜線堂 そうそう、『ガリレオ』ブーム、ありましたよね。私は最初の東野作品が『秘密』で、読んだときに「物語ってこういう終わり方をしてもいいんだ」って驚いたんです。当時読んでいた本は収まりの良い結末のものが多かったので『秘密』は衝撃でした。

阿津川 よくわかります。あと、私の場合はやっぱり伊坂先生ですね。広がりのあるミステリーやエンターテインメント小説はたいがい伊坂先生と「ダレン・シャン」に結び付けて記憶されていて。高校一年生で海外小説にどっぷりはまったのですが、そのときすぐローレンス・ブロックの『殺し屋』に感動できたのは、間違いなく伊坂先生の『グラスホッパー』を読んでいたからだし、後年、ドナルド・E・ウェストレイクとかトニー・ケンリックなんていうユーモアミステリーの作家にはまったのも、「陽気なギャングシリーズですでに自分のなかにその回路が拓かれていたからだろうなと。謎解きをメインとするものだけじゃなく、ミステリーにはいろんなサブジャンルがあると思うんですが、それらの豊かな原体験となってくれたのが伊坂作品で、それはいまも、自分の深い部分に横たわっている気がします。

斜線堂 そういう話で言えば、私は青い鳥文庫に行く前に星新一先生を通っていますね。子供の頃、体が弱くてすぐに熱を出したり、よく病気になっていたのですが、我が家には病院に行くたびに星先生の本を一冊買ってもらえるというルールがあったんです。病院に行くのは嫌だけど、星先生の本を読めば、熱の苦しさを紛らわせることができる。あの経験があったから小説ってすごく面白い、何か辛いことがあっても小説を読めばリカバリが効くという思考回路が生まれたのかもしれないです。

初めての執筆と投稿時代

阿津川 さて、今度は読むほうじゃなくて、執筆のほうの記憶ですね。私の場合、初めてお話めいたものを書いた記憶というと、まずは小学生の頃になります。当時はまってた漫画のキャラクターたちが有名古典小説の筋を滅茶苦茶にしてしまうという二次創作のようなお話をつくってみたのが最初でした。

 その後、中学に入ったら文芸部があって、楽しそうだったのでちゃんと小説を書いてみようかなと。最初はファンタジー寄りの作品を書いていたのですが、朝日新聞のオーサー・ビジットという企画で、どなたか作家さんに来てもらえるということになり、「はやみね先生に来て欲しい!」と。ちょうど『都会のトム&ソーヤ』が五巻ぐらいまで出た頃で、学校にもファンが多かったんです。願いがかなって、はやみね先生がミステリーの書き方を講義してくださいました。そこでむくむくとミステリーを書きたい欲が湧いてきて。その後、中二ぐらいから犯人当て小説をホッチキス留めの会誌に連載したり、長編ミステリーを書き始めてみたり。そのまま大学でも文芸サークルに入って投稿も始めたので、きっかけはやっぱりはやみね先生だったなと思います。

斜線堂 私も最初は小学生の頃ですね。四年生のときにパソコンを手に入れたことで、書き始めました。パソコンといえば小説を書く道具だと思っていたので、唯一メールアドレスを知っていた親友に、夜な夜なメール本文に小説を書き殴ったものを送りつけるという異常行動をし続けていました(笑)。

 そのとき、「私、すごい作家っぽいぞ。これは自分に向いているかもしれない」と思ったんです。親友があれをいったいどういう気持ちで受け取っていたのかはわかりませんが……。でも、彼女もたまに小説みたいなものを送ってくれたこともあって、いい思い出です。

阿津川 交換日記みたいで楽しそうですね。

斜線堂 ええ、すごく楽しかったですね。相手があの文章を保存していたら、どうにかして処分しなければならないくらい恥ずかしいんですが。そういったことがあって自分は文章を書くことに向いているのかもしれないと思っていたときに佐藤友哉先生の『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』に出会ったんです。そのとき、小説は何をやってもいいんだ、面白ければすべて許されるんだと感じて、将来は小説家になろうと思いました。だから小説家になった一番大きなきっかけは、中一のとき、佐藤友哉先生の小説を読んだことだったかもしれないです。

 阿津川先生は投稿は積極的にされていたんですか?

阿津川 『名探偵は噓をつかない』が投稿作の三本目だったので、たくさん投稿してたとは言えませんね。むしろ会誌の連載や特集記事とか、サークルでの執筆に力を入れていました。そこで阿久津透の連作を書いていたときに、「カッパ・ツー」の募集があって。東川(篤哉)先生と石持(浅海)先生に読んでもらえるかもしれないという興奮が高まり、丁度連作の最終話を構想していたところだったので、トリックをいくつか減らして長編化したのが受賞作でした。

斜線堂 それが『名探偵は噓をつかない』の読み味の濃さに繫がっているんですね。阿久津透に歴史があるから、キャラクターが強い。

阿津川 斜線堂さんはどうでしたか?

斜線堂 高校三年生のときに純文学の「文藝賞」で最後の数名というところまで残ったので、もしかしたらいけるかも? と大学一年のときはそのまま純文の賞に投稿を続けていました。でも純文学の賞は数が少ないので、書き溜めたものを締め切りの近いところに片っ端から送って、それでも手元に残ったものを電撃小説大賞に送ってみたんです。電撃小説大賞って講評がもらえるんですよ。それが嬉しくて、それからは電撃小説大賞にも送ることにしました。そこでミステリーっぽいものも書くようになって。その後、周囲が就活を意識し始めた頃に、「ここで作家にならなかったら私も就活しなきゃいけないのか」と焦ってきて、就活をする代わりに頑張ってたくさん書こうと。そのタイミングで電撃小説大賞〈メディアワークス文庫賞〉を受賞しました。なので、私にとっては思いがけず、ミステリー小説のほうで作家になってしまったという流れだったんです。

別冊文藝春秋からうまれた本

電子書籍
別冊文藝春秋 電子版35号(2021年1月号)
文藝春秋・編

発売日:2020年12月18日

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