池波さんの作品は、登場人物が筋書きの操り人形になっていない。血の通った人間同士に生まれるドラマが火花を散らし、ダイナミックに筋書きを転がして行く。つまり筋書きを書かず、人間を書いているのだ。
このような池波さんなので、困ったことも出来した。『鬼平犯科帳』(文春文庫)で大人気の密偵・伊三次を、連載中に死なせる羽目になったことだ。編集部には読者からの抗議が殺到したという。
池波さん自身、伊三次を殺したくはなかったのだが、書いているうちに自分でも「もう助けようがない」事態に陥り、伊三次を殺さざるを得なくなったそうだ。
世の中には三千代のような女性を「主体性がなくて意志薄弱」と決め付け、懲罰的な感情を抱く人もいる。
もちろん我らが池波正太郎は、そんなことは絶対にない。だって“女人性善説”なんだもの。
三千代は理屈ではなく気持ちで動く。自分の気持ちに正直で、どんなときも一生懸命な女性だ。そんな彼女の心の移り変わりと精神的な成長を、池波さんは愛情を込めて見守り、丹念に描いている。
三千代が出会う男性達も、それぞれに個性豊かで魅力的だ。誰もが一筋縄では行かない。裏の顔を持つ人物もいる。
人の心は複雑で、一面だけでは語れない。善意に満ちた人の心にほんの一瞬悪の影が兆すこともあれば、悪逆非道の輩に一生に一度だけ、仏心が芽生えることもある。真っ直ぐAからBに進むこともあれば、堂々巡りを繰り返してAに戻ってくることもある。
長谷川平蔵の言う通り「(人間とは)悪いことをしながら善(よ)いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく」生き物なのだ。
チャーミングなヒロインと個性的な男達が織りなす物語が、面白くないはずがない。『旅路』は「一読巻を措くあたわず」「ページターナー」と呼ぶに相応しい作品である。
物語を読み終わったときは、三千代と一緒に長い旅を終えたような気分になった。
幸せになってくれて本当に良かったと思う。
おばちゃん、満足よ。ホッとしたわ。
突然話は変るが、池波正太郎の小説に登場する美女は肉感的な女性が多い。
三千代の容姿の描写にも「肉置(ししお)きがゆたか」「肥えて」「両腿のあたりから腕の付け根、双の乳房にもみっしりと肉が充ちてきた」等の表現が使われている。それを読む度に、人生の大半を「小デブ」として生きてきた私は嬉しくなる。
ああ、池波さんはきっとデブが好きだったんだ。パリコレのモデルさんみたいな、痩せて小顔で九頭身の女性は好みじゃなかったんだ。
それならもう、頑張ってダイエットしなくてもいいか。
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