本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
池波正太郎は「女人性善説」である

池波正太郎は「女人性善説」である

文:山口 恵以子 (作家)

『旅路』(池波 正太郎)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

『旅路 上』(池波 正太郎)
『旅路 下』(池波 正太郎)

 というわけで、池波作品に登場する娼婦や、お金のために身体を売る女性達は、ほとんど善人である。それなりに幸せに暮らしている例が多い。中には哀しい運命をたどる女性もいるが、なんとか幸せになってほしいと願う気持ちは随所に現われている。嘘だと思ったら「金太郎蕎麦」(角川文庫『にっぽん怪盗伝』所収)を読んでご覧なさい。

 そして「懸命に働くシングルマザー」に対する思い入れも、一方ならぬものがある。例えば『仕掛人・藤枝梅安』(講談社文庫)の主人公・梅安の愛人おもんは、芸者でも常磐津の師匠でもなく、実家に子供を預けて料理屋の座敷女中をしている女性である。

 池波さんの母子家庭に対する同情心が最も色濃く表れている作品は『剣客商売』(新潮文庫)の「梅雨の柚の花」だろう。養子先に男の子が生まれ、鬱屈した日々を送る若い武士が、料理屋の子持ちの座敷女中との情事で束の間安らぎを得るが、彼女は乱暴な侍に階段から蹴落とされて横死する。武士は彼女の復讐を誓い……ラストは養子先に廃嫡を申し出てかなりの「慰謝料」をもらうのだが、その金を亡くなった女性の子供の役に立てようと決意する。

 ほんの数回情事を持っただけの女性の、会ったこともない子供のために、である。普通の男の心理として、こんなことはあり得ないと思う。だが、実際に作品を読むと武士の優しさに共感し、納得してしまうのは何故だろう?

 それはきっと、自身と同じ境遇の母子に少しでも幸せになってほしいと願う池波さんの気持ちが、素直に作品に反映されているからではないだろうか。

 さて、本作品『旅路』である。

 最愛の夫を殺された十九歳の若妻三千代が、仇討ちを決意するも藩の許しを受けられず、藩を出奔して憎い仇のいる江戸へ旅立つ。江戸を目指す道中、そして江戸の暮らしの中で様々な人(主に男)と出会い、波瀾万丈の末……という物語だ。

 最初は「三千代が紆余曲折を経て、苦労の末に仇討ち本懐を遂げる話」だろうと思っていた。ところが読み進めるうちに、物語は思いも寄らぬ展開を見せ、意外な方向に進んで行く。いったいどうなるかとハラハラしていると、納得のラストが待っていた。

 ひと言で言えば「彦根から江戸を目指していたらフィジー諸島に着いてしまった」ようなお話で、「女の道は一本道」どころか、ほとんど「アミダくじ」なのだった。

 これは褒め言葉ですから、念のため。

 どうして「江戸に行くはずがフィジーに着いてしまった」ような話が書けるかというと、池波さんは短編においても長編においても、綿密なプロットを立ててキッチリ構成を決めてから書き始めるのではなく、出だしのドラマを思い付いた瞬間、一気に物語を書き進めて行くタイプの作家だからだ。

文春文庫
旅路 上
池波正太郎

定価:847円(税込)発売日:2021年01月04日

文春文庫
旅路 下
池波正太郎

定価:891円(税込)発売日:2021年01月04日

プレゼント
  • 『赤毛のアン論』松本侑子・著

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募期間 2024/11/20~2024/11/28
    賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様

    ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。

ページの先頭へ戻る