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岸田奈美×澤田智洋「できないことが、あなたを救う。いじわるな毎日を生き延びるための思考法」

岸田奈美×澤田智洋「できないことが、あなたを救う。いじわるな毎日を生き延びるための思考法」

聞き手:「別冊文藝春秋」編集部

別冊文藝春秋LIVE TALK vol.3[ダイジェス ト]

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #小説

言葉でつくる防波堤

澤田 岸田さんの本もそうじゃないですか。ダウン症とか障害を持った家族がいても、日々感じるよろこびとか、あるいはモヤモヤとか、そういうものってなかなか吐露する機会がない。だから、同じような想いを抱いている人と繋がる機会が少ない。

岸田 確かにそうですね。「誰かにこんなふうに言ってもらいたかった」という感想をいっぱいもらいました。うちの弟も、勉強しろっていわれたらやっぱりできないし、だけど、じゃあ他人の役には立てないのか? といえば、そうでもない。弟は地元でキッシーと呼ばれているんですけど、小学生のときも、担任の先生から「キッシーがいたおかげで、うちのクラスには六年間いじめがなかった」と。同級生のお母さんからも「キッシーとクラスで過ごすようになってから、うちの子が妹にやさしくなった」と言われたり。ほんまかいなと思って外から弟のクラスを見ていたら、「キッシー、今日なにして遊ぶん?」とか、みんな気さくに声をかけてくれてるんですよね。弟も、なんか急に踊ってみせたりして(笑)。給食当番でよそい方がわからないとか、できないことがあればみんなも手伝ってくれるし、弟もなんかおもしろい反応を返してて、楽しそうだった。でも、そう思ったことを誰かと共有する機会って、あんまりないんですよね。

澤田 聞いてて思ったんですけど、なんか、弟さんってお寺みたいですね。

岸田 キッシー寺?

澤田 境内に入ると、現世とは違うモードになれるというか、そこに行くと資本主義のルールとか忘れるし、売り上げのことも考えなくていい。

岸田 ああ、それはあるかもしれない。

澤田 モードが変わる。そういう瞬間ってめちゃくちゃ大事で、宗教がその役割を果たしていた時代もあったんだと思うけど、その存在感が薄まりつつあるいま、障害がある方が、モードチェンジを助けているんじゃないかな。弟さんと接しているときってみんな、相手に勝ちたいとか、そういうことを忘れて、違うモード同士の交流、心の交流が生まれてるんだと思うんです。

岸田 そうかも。なんかね、まわりの子たちも、通じ合えるとうれしいみたいですよ。「キッシーがおもしろいって言った!」とか、それだけでけっこう盛り上がっていたり。

澤田 誤解を恐れずに言うと、僕は「弱さ」の力ってあると思うんです。愛知のほうで岡田美智男先生という方が、「弱いロボット」というのをつくっていて。要はコミュニケーションロボットなんですけど、自分では何もできないし、何か訊いても、答えがちぐはぐ。だけど、そのロボットを幼稚園とかに持っていくと、普段は悪ガキみたいな子たちが優しくなったり、能力を開花させたりしていく。弱さというのは、悪いものじゃなくて、まわりを覚醒させる力があるということだと思うんです。

岸田 そう言われると、弟のこと、めちゃくちゃ唐揚げ食べるやつぐらいにしか思ってなかったんですけど、家に寺があるみたいな気がしてくるかもしれない。寺か……いいですね、それ。

澤田 めちゃくちゃ唐揚げ食べるのも、いい。僕らだと自制しちゃうけど。

岸田 私たちはね、野菜と肉と米はバランス良く食べなきゃダメって刷り込まれてるから。

澤田 呪いですね。

岸田 そう。彼は罪悪感なしで食べてる。実は私、心と身体のバランスを崩して、二カ月会社を休職したことがあるんですけど、そのとき立ち直ったきっかけも弟だったんですよ。

 学生時代に創業メンバーとしてベンチャー企業をはじめて、夢中で働いていたんですけど、どんどん会社が大きくなって、人数も増えて、その中で私は「私じゃなきゃできないこと」を失っちゃったんです。反対に、時間や期限を守るみたいな、当たり前のことができないという、他人より劣っているところがむき出しになって、すごく落ち込んで。そんなときに弟とふたりで旅行に行って、その時間、生産性とか職場の調和とか、そういうものから完全に解放された。弟はそういう基準からことごとく外れているけど、オリジナルな良さがいっぱいある。一緒にいるうちに勇気づけられて、また会社に行けるようになったんです。

澤田 僕もね、息子の障害について周囲に話したときに、「かわいそうだね」って、たくさん言われたんですよ。僕はその呪いにちょっとやられちゃったんです。あっ、やっぱりこれってかわいそうなんだって。でも途中から、これは呪いの言葉による単なる呪縛だって気づいて、対抗するために祝いの言葉をたくさん使おうと。息子とか、自分自身のことを肯定する、祝福する言葉をどんどん発しようと思ったんですよね。

岸田 うん、呪いの反対は祝福ですね。

澤田 まさに、岸田さんの本には祝福の言葉があふれてると思った。

岸田 ほんとですか、嬉しいな。

澤田 本を読んだ人はもしかしたら、岸田さんってポジティブな方なのねと思うかもしれないけど、僕はそういう印象は受けなかった。言葉という楔を死に物狂いで打っているというのがすごく伝わってきた。呪いに抗ってきた記録なんだなって。

岸田 たぶん私の根底にはまだ悲しみとか、怒りがあるんですよ。私も私の家族も、かわいそうなんかじゃないって。しかも、誰も攻撃だと思ってそういう言葉をかけてきてるわけじゃないから、なかなか抗えないんです。

澤田 この本は、ご自身を守るための防波堤を一個一個積み上げてきた、その記録なんだと思う。時間をかけて積み上げていけば、やがて潮の流れが変わる。自己防御でやり始めたことが、一〇年、二〇年かけて、社会のほうの流れを変えることに繋がる。そういう意味では、いまも一週間に一本書いておられるエッセイ、それがそのまま一週間にひとつ防波堤を築いていることになってるんじゃないかなと思います。

岸田 たしかに、自分の意識は変わりましたね。一年書いてみて、悲しみとか怒りとか、そこから芽吹いたものをこれからも書き続けるのかといったら、違うなと思うようになった。一時期、不運なことが立て続けに起きて、たまたま何も起きなかった日に「あー、今日は何も起きんかったから書けへんわ」とがっかりして。その後、「いや、あかん!」と思った。不幸なことがないと幸せを感じられないなんて、おかしいわと。幸いこの本で、家族のこととか、生き方とか、書きたいことを書けたので、これからはハッピーなものを書いていきたいと最近は思ってます。だからいまも、エッセイじゃなくて、小説を書いているんですよ。子供向けに。なんて、二カ月粘ってまだ三〇〇字ぐらいしか書けてないから、えらそうなことは言えないけど(笑)。

澤田 エッセイとは勝手が違うんですか?

岸田 全然違いますね。やっぱり、悲しみとか怒りを起点にしてないから。でも、インスタグラムを始めたら、写真が撮りたくなって視界が広がるように、幸せな物語を書こうとしたら、日常のちょっとしたよろこびとか、いろんな優しさに気づけるようになるんですよ。いままで、家族のことしか見えてなかったのに。

澤田 それ、めちゃくちゃわかる。僕も、息子をはじめ、いろいろな障害のある人たちと接してるうちに、いろんな角度のカメラが自分に備わってきたなって思うんです。今日みたいに初めての場所に来たら、車いすユーザーの、ローアングル視点でサッと確認しちゃったり、自分の視覚がマルチアングル化されてる。人に会えば、その分カメラは増えていく。

岸田 ですよね。いろんな特性がある人のことを知っていくのって、おもしろい。

澤田 こんな言い方するとあれなんですけど、一時期、健常者に飽きちゃって。僕、昼間はサラリーマンやっているんですけど、アメリカ大統領選の開票日である今日なんて、同僚と飲みに行ったら絶対その話になるでしょ。

岸田 確かに。

澤田 なんかそれって八百長だなと思って。

岸田 八百長!

澤田 障害のある友人と飲みに行くと、さっきのペリエみたいな話が出てくる。刺身を一緒に食べていても、醤油じゃなくて日本酒にお魚つけちゃうみたいな、すごくスポーツ的というか、先が読めないことが多い。たまたまそういう友人がまわりにいるから、世界をマルチアングルで見られるけど、息子がいなかったら、そういう人たちに出会うこともなく、カメラ不足で、いま頃、閉塞感に悩んでいたかもしれない。

岸田 障害のあるなしにかかわらず、自分にない視点を強く持ってる人の話って、おもしろいんですよね。自分をびっくりさせ続けてくれる。

別冊文藝春秋からうまれた本

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別冊文藝春秋 電子版35号(2021年1月号)
文藝春秋・編

発売日:2020年12月18日

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