『おどんな日本一』の主人公は、人吉(ひとよし)生まれの丸目蔵人(まるめくらんど)。新陰流の祖・上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)の高弟(一番弟子)で、新たに体捨流(たいしゃりゅう)(タイ捨流)を創始した肥後の快男児である。
体捨流は、肥前でも盛んだった。しかも、『おどんな日本一』には、丸目蔵人の「お吉さま」への叶わぬ恋の思いが流れ続けており、雨宮蔵人の咲弥への思いと通じ合う。
海音寺が描いた丸目蔵人は、実在の人物でありながら、どこまでも冒険ファンタジーの快男児であり、それゆえの痛快さがあった。それに対して、葉室の雨宮蔵人は架空の人物でありながら、歴史の大きな転換期の中に投げ込まれ、大活躍する。その結果、歴史年表に記載されている出来事が、どのような人々の「思い」のせめぎあいの中から発生したのかが見えてくる。歴史の「真実」を照らしだすための「虚構」。それが、雨宮蔵人三部作の醍醐味である。
その三部作のタイトルは、すべて和歌に因んでいる。歴史小説の三大構成要素は、「恋と戦いと芸術」だと、私は常々考えている。恋は、蔵人と咲弥の心の結びつき。そして、次の世代である香也(かや)と冬木清四郎の関係。戦いは、蔵人とライバルたちとの死闘。芸術は、和歌が担っている。
葉室には詩心があり、絵画・漢詩・俳諧(俳句)・茶道・華道などをテーマとする芸道小説を、次々と世に問うた。中でも、和歌は、葉室の詩心の中核を占めていた。個人的な回想で恐縮だが、私が初めて葉室と会った時に、「あなたは塚本邦雄さんの弟子だそうですね」と言われた。葉室は前衛短歌に造詣が深かった。おそらく、寺山修司の短歌や俳句、さらには演劇にも、青春時代から親しんでいたのだろう。葉室が愛したのは美しい芸術というよりも、戦う芸術であり、時代と激しく斬り結ぶ芸術家だった。
春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことはいのちなりけり
いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東(あづま)の花や散るらん
色も香も昔の濃さに匂へども植ゑけむ人の影ぞ恋しき
この三首を眺めていると、人間のかけがえのない「生」を支えているのは「死」であることがわかる。葉室麟の死生観は、「いのちなりけり」という言葉に凝縮している。短い「花のさかり」を「いのちなりけり」(自分に命があったから、このように桜の花を愛(め)でられるのだなあ)と感動するのは、必ず訪れる落花(花の死)と、花を愛でている側の自分にも必ず訪れる死を、深く認識しているからである。死の痛切な自覚が、世界をかけがえのないものへと変貌させる。