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青葉を振るわせ、風が吹いてくる

青葉を振るわせ、風が吹いてくる

文:島内 景二 (国文学者)

『影ぞ恋しき』(葉室 麟)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

『影ぞ恋しき』 上(葉室 麟)
『影ぞ恋しき』 下(葉室 麟)

『おどんな日本一』の主人公は、人吉(ひとよし)生まれの丸目蔵人(まるめくらんど)。新陰流の祖・上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)の高弟(一番弟子)で、新たに体捨流(たいしゃりゅう)(タイ捨流)を創始した肥後の快男児である。

 体捨流は、肥前でも盛んだった。しかも、『おどんな日本一』には、丸目蔵人の「お吉さま」への叶わぬ恋の思いが流れ続けており、雨宮蔵人の咲弥への思いと通じ合う。

 海音寺が描いた丸目蔵人は、実在の人物でありながら、どこまでも冒険ファンタジーの快男児であり、それゆえの痛快さがあった。それに対して、葉室の雨宮蔵人は架空の人物でありながら、歴史の大きな転換期の中に投げ込まれ、大活躍する。その結果、歴史年表に記載されている出来事が、どのような人々の「思い」のせめぎあいの中から発生したのかが見えてくる。歴史の「真実」を照らしだすための「虚構」。それが、雨宮蔵人三部作の醍醐味である。

 その三部作のタイトルは、すべて和歌に因んでいる。歴史小説の三大構成要素は、「恋と戦いと芸術」だと、私は常々考えている。恋は、蔵人と咲弥の心の結びつき。そして、次の世代である香也(かや)と冬木清四郎の関係。戦いは、蔵人とライバルたちとの死闘。芸術は、和歌が担っている。

 葉室には詩心があり、絵画・漢詩・俳諧(俳句)・茶道・華道などをテーマとする芸道小説を、次々と世に問うた。中でも、和歌は、葉室の詩心の中核を占めていた。個人的な回想で恐縮だが、私が初めて葉室と会った時に、「あなたは塚本邦雄さんの弟子だそうですね」と言われた。葉室は前衛短歌に造詣が深かった。おそらく、寺山修司の短歌や俳句、さらには演劇にも、青春時代から親しんでいたのだろう。葉室が愛したのは美しい芸術というよりも、戦う芸術であり、時代と激しく斬り結ぶ芸術家だった。

 

  春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことはいのちなりけり

  いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東(あづま)の花や散るらん

  色も香も昔の濃さに匂へども植ゑけむ人の影ぞ恋しき

 

 この三首を眺めていると、人間のかけがえのない「生」を支えているのは「死」であることがわかる。葉室麟の死生観は、「いのちなりけり」という言葉に凝縮している。短い「花のさかり」を「いのちなりけり」(自分に命があったから、このように桜の花を愛(め)でられるのだなあ)と感動するのは、必ず訪れる落花(花の死)と、花を愛でている側の自分にも必ず訪れる死を、深く認識しているからである。死の痛切な自覚が、世界をかけがえのないものへと変貌させる。

文春文庫
影ぞ恋しき 上
葉室麟

定価:803円(税込)発売日:2021年04月06日

文春文庫
影ぞ恋しき 下
葉室麟

定価:781円(税込)発売日:2021年04月06日

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