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古希に“南木物語”を振り返る――文庫版あとがきとしての独白

古希に“南木物語”を振り返る――文庫版あとがきとしての独白

南木 佳士

『小屋を燃す』(南木 佳士)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

『小屋を燃す』(南木 佳士)

 英語や世界史、漢文、現代国語などの成績がよく、物理や数学はまったくふるいませんでしたが、ある日、世界史の教科書を読んでいて、ルイ十四世もナポレオンもチンギスハンもみんな死んだのだな、との事実に圧倒され、授業中に叫びだしそうになりました。ひとはみな平等に死ぬ。ならば、死とかかわる現場こそが身を置く価値のある唯一の場所なのではないか。早とちりの極みと言ってしまえばそれまでですが、若造なんていつの時代もそんなものなのでしょう。

 苦手の数学に取り組み、理科はなんとか暗記でやっていける生物と化学を選択して国立大学の医学部を受けましたが、あっけなく不合格でした。東京から遠ざかれば入試も楽だろうと地方の大学を受けたのですが、医学部の偏差値の高さはあまり変わりがないことは後で知りました、そんな不遜な受験生でした。一年の浪人でだめだったら医学部はあきらめるつもりでした。もとより私大医学部に高額の学費を払う金のない家の子でしたから。

 若い時期、おのれの輪郭を明らかに見るために全力を出さねば歳を重ねてからきっと後悔するとの自覚だけは持てていましたから、通学の電車や予備校の狭い座席で過敏性腸症候群に悩まされ、正露丸が手放せない状態で受験勉強に集中し、なんとか北国の新設医学部に受かりました。しかし、第一志望ではなく、都落ちの悲哀を身の内で勝手に醸成させていったゆえ、以降、高校時代の知り合いとは交わりを絶ちました。

 十月の末から三月まで厚い雪雲におおわれ、ときに吹雪で登校不能になる北国の生活はやりきれませんでしたが、医者になるための専門学校に入ったのだ、と割り切り、医師国家試験に受かる最低限の知識を詰め込みました。祖母は、あの飽きっぽい孫が六年間も雪国で生活できるのかと案じ、毎朝仏壇で努力家だった亡き母の位牌を拝んでいたのだそうです。

 卒業時にはまだその祖母が健在でしたから、幼いころに存在の世話をしてくれた彼女への恩返しのつもりもあって生家にいちばん近い研修指定病院を探したら、浅間山の反対側の信州にあったのです。

 研修一年後、隣家の旅館の次女と結婚し、朽ちかけた木造平屋の病院住宅で暮らし始めました。医師数の足りない病院だったゆえ、若造も重症患者さんを受け持たされ、日常のなかに他者の死があたりまえに入り込んできていました。

 高校時代の望みどおり、死とかかわる現場に身を置くことになったのですが、そこは死が他人事ではなく、明日、おなじ生身のわが身に降りかかってくるかもしれない事態であることを、これでもか、これでもか、と強迫してくる場でもありました。

 息子が二人生まれました。

 夜、病棟からの呼び出しで病室に駆けつけると、末期がんの患者さんが家族に囲まれて呼吸を止めつつあります。ねえ、起きてえ、と家族が声をあげて泣き出します。そんななか、冷えてゆく胸に聴診器をあて、心電図のモニター波形がフラットになったのを確認し、しばらく間を置いてから、いたりませんで、と頭を下げるのです。

 霊安室の脇から車に乗せられた遺体に向かってまた頭を下げるのです。

 家に帰ると、妻と風呂に入っていた幼い息子たちが満面の笑みで駆け寄ってきます。どんな表情を返せばよいのか、さっきまで何をしていたのか、いま何をすべきなのか。死と生の間で大きく揺れ動く感情を制御できないまま、おのずと無口で不機嫌な父親になってしまいました。

 いま置かれている状況をだれにでも伝わる書きことばに換えて確認してみないことには正気を保てなくなりそうでした。そこで、書き上げたものが小説なのか否かも不明なまま、医学会発表用に用意してあった横書き四百字詰め原稿用紙を縦書きにした二十数枚の覚え書を文芸誌の新人賞に応募しました。

 これは小説ではないが、あなたは書きたいものを持っています。

 電話をくれたこの編集者に小説の書き方を教わりました。彼はのちに、医者の作家だから渡辺淳一の後継者になればありがたいよね、との社内の意見があったのですよ、と教えてくれました。大きな勘違いから始まった縁でした。

文春文庫
小屋を燃す
南木佳士

定価:726円(税込)発売日:2021年04月06日

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