宮本武蔵に下った「呪詛者捜し」の密命。呪いをかけられたのは他ならぬ徳川家康だった
武蔵と久遠の木刀がまっぷたつに折れ、床に転がる。
「久遠、それまでだ」
「武蔵先生、戦場では組み打ちがあります」
久遠が飛びかかってきた。
襟をとり投げようとする久遠の足を逆にかる。倒れぎわに、久遠は手首の関節を極めんとする。武蔵が回転しつつ、逆に久遠の足をとった。
「ま、参った」
久遠が床を叩いた。武蔵は極めていた久遠の足首を解放する。
久遠が大の字になり荒い息を吐く。武蔵も膝をつけた状態で、呼吸を整えた。
「ああ、くそ、旅立つ前に一本とりたかった」
言葉とは裏腹に、顔には笑みが浮かんでいた。
「仕度はできているのか」
足をあげた反動で、久遠が立ち上がる。
「あとは武蔵先生の紹介状だけです」
「どうしても退蔵院でないといけないのか」
久遠は旅にでる。最初の一年は武者修行で、次の一年は京にある妙心寺の塔頭退蔵院で禅の修行をする。若き頃、武蔵も寄寓して座禅を組み、時に筆をとり書院で絵を描いた。
「禅の修行ならば他の寺も紹介できるぞ」
退蔵院の住持は少々癖が強く、『瓢簞図』などの禅を画題にした絵と向き合わせ、難解な問答を投げかけることがよくあった。納得のいく答えを導くまで絵の前を離れることを禁じられ、さすがの武蔵も音を上げそうになった。それでなくとも、禅は暮らしの全てが修行だ。剣に費やす時間もあわせると、若者には酷な一年となる。
「心遣いはありがたく思います。実は妙心寺には、亡き父ゆかりのお堂があります。そこに手を合わせるのも目的です」
久遠の父は河内国の出で、佐野綱正という大名の一族だった。佐野綱正は三好康長、豊臣秀次をへて、徳川家康の旗下に入った。関ヶ原の前哨戦では、鳥居元忠らとともに伏見城にこもるが西軍の大軍を引き受け全滅した。この戦いで久遠は父を喪った。
「武蔵先生、お願いがあります。修行が終わったら、今一度立ち合っていただきたい」
「容易いことだ」
「本当ですか」
「なぜだ。己は噓はつかぬ」
「ならば、この道場に戻ってきます。必ず、ここで待っていてください」
久遠の言葉は、思いの外強く武蔵の胸に響いた。
「やはり、だ。私が旅立てば、道場を畳むつもりだったのでしょう」
「仕方あるまい」武蔵は何とか言葉を絞りだす。
「道場がこの様だ。それに、己には病んだ父がいる」
父の宮本無二は気の病に臥せっている。“美作の狂犬”と恐れられ、武蔵を苛烈に育てた男の面影はない。黒猫を武蔵と思って語りかける有様だ。今は隣町の知人に世話を頼んでいるが、病状は思わしくない。治療には明国の高価な薬が必要で、武蔵はそれを借財で購っている。
「武蔵先生、円明流を今一度盛り立ててみませんか」
真剣な目差しで、久遠がいう。
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