- 2021.05.17
- コラム・エッセイ
「ハマ」を大興奮の渦に巻き込んだ神々たちの物語、再び! 前代未聞の特別付録を一部ご紹介!
蜂須賀 敬明
『横浜大戦争 明治編』(蜂須賀 敬明)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
橘樹の大神
【生年】七世紀ごろ
【離年】一九三八年
【身長】一四八cm
【職業】農家
【該当する現在の区】鶴見区・神奈川区全域、保土ケ谷区・港北区・西区の一部
【神器】『風光明飛』(櫛)
鳥に変化できる櫛
【主な特徴】
●律令制の時代から、武蔵国に顕現する古い土地神の一人。
●同期の神は、久良岐の大神、鎌倉の大神、都筑の大神。
●武蔵国の豊穣を司る神。
●聞き上手なので、いつも誰かが遊びに来ている。
●面倒見がよく、常に何かしていないと落ち着かない性格。
●自家製の梅酒にファン多数。
* * *
「お、食べた!」
橘樹の大神の家の前で、荷馬車が止まった。何か届けものかと思いきや、馬が歩こうとしなくなったのだ。馭者がムチで叩いたり、ハミを引っ張ったりしても効果なし。馭者に泣きつかれた橘樹の大神が、裏手の井戸に連れて行き、水を飲ませて草を食ませると馬は頭をぶるぶると震わせて元気になった。
「一体何をしたんです?」
馭者は橘樹の大神に出してもらった麦茶を飲んで人心地がついている。橘樹の大神は馬の鼻を優しくなでる。
「何もしていませんよ。さあ、もう少しで港に着きますから、頑張りましょうね」
まるで橘樹の大神の言葉が分かるかのように、馬はいなないた。
「助かりました。後で何かお礼をさせてください」
麦茶に漬物までごちそうになって、馭者も疲れが取れたようだった。
「お礼だなんて……そうだ」
作業場で袋詰めしていた長ネギとキャベツを持ってきて、馭者に渡した。
「これを関内の茂原さんのおうちに持っていってくださらないかしら」
受け取った野菜は採れたてで、みずみずしかった。馭者はぽんと自分の胸を叩く。
「茂原さんは、懇意にしていただいているお客様。お安いご用です。どなたからとお伝えすればよろしいでしょう?」
「何かあったらいらっしゃい、とだけお伝えください」
礼を言って、荷馬車は港へ向かっていった。
東海道は、いつも何かが起きている。困った荷馬車が助けを求めに来るなんて、日常茶飯事。橘樹の大神は、不意に訪れる客をもてなすのが好きだった。街道は人と人を結び、ものが受け渡されることで、文化が交わっていく。街道を行き来する人々を見ることが、世の中の変化を最も肌で感じられる。橘樹の大神は、いつまでも賑やかな街道を見ていたかった。
未来へ帰って行った神々も、誰にも知られることなく横浜を救った一人の少女も、これから長い旅が続いていく。彼らの明るい前途を願うだけで、心が温かくなる。自分はあとどれだけ、人々の旅を見られるかは分からない。
ただ、天界へ戻っても旅が終わるわけではない。いつか彼らの長い務めが終わって天界へ帰ってきたとき、心やすまる場所を用意しておくのは橘樹の大神の新たな役目だった。
「さみしがってもいられませんね」
袖のひもを締め直して、橘樹の大神は畑へ向かった。人も土地神も、旅は続いていく。風に吹かれて、ナスの花が小さく揺れていた。
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