小説だから出来ること
阿部 中島さんの作品はどれも、まるで自分がその場に居合わせたかのようなディテールで描写をされますよね。私はずっとファンタジーを書いてきて、ファンタジーの世界であれば自分が見えると思ったものは、「見える」で済むんですけど、過去に起こったことや現実世界で起こっていることは、自分が感じ取っていることが、そのまま正解だとは限らない。『発現』を書いている時は、確信を持って表現できない怖さがずっとつきまといました。中島さんがご自身で作品を書いている時、心掛けていることや、意識していることはありますか。
中島 やはり自分の知らない時代のことで、しかもまだ生きている方もいる時代のことを書くのは、いつだって怖いですね。その怖さは常に離れないけれど、逆に自由自在に書けると思ってしまっても、小説家として拙いだろうという気持ちがあります。当時の新聞や雑誌や日記など、ディテールを一生懸命調べるんですけれど、それが小説を書くことに直接つながるかといわれると違うような気もします。
その時代をよく知る人に「ああ、こうだったわ」と言ってもらえるように書くには、当時の勉強が必要だというのは大前提として、私はあえてあまり書きすぎないようにもしています。たとえ同時代に生きた全く別の人の記憶が書かれていても、自分のよく知っていることと異なっていたら、「これは私の体験じゃない」と不愉快な気持ちになるでしょう。行間に読者の方は自分の記憶を重ね合わせるので、その塩梅が難しいところです。
阿部 私は読ませていただいていて、どうやったらこんなに実感を伴ってあの時代を描けるのか不思議で、尊敬と同時に嫉妬を覚えるくらいでした(笑)。
中島 私は単純にその時代のことを知りたいという気持ちが、すごく大きいんですね。なぜ知りたいかというと、過去を知ることが、自分が今を生きるために必要だと思うから。特に戦争中や戦後のことは、それこそ誰にも語られなかったこと、分からないことが沢山あって、でもそれらは今の私たちと密接に繋がっている。小説家だけではなく、歴史学者の方や社会学者の方も解明しなければいけないことで、戦争だけに限らないけれど、あの戦争はものすごく世界を変えたし、日本の価値観も変えたわけだから、そこを知るのは非常に大事だと思っています。
阿部 今となっては語りたくないことを国家規模で行ってきた時代、そこに生きていた人々の血は、脈々と今の私たちに受け継がれているわけですしね。
中島 まず私自身が理解したいというのがあって、後世にそれを伝えていかなければという使命感はあまりない。小説というのは、読者の方が作品を読んでいる過程で、作家と一緒に、あるいは登場人物と一緒に旅をするようなもので、色々なことを考えるプロセスを共有するものだと思っています。私が学んだり考えたりしたことが、小説という形で読者にも共有してもらえるなら、それはいいことなんじゃないか……。
私たち作家は戦争体験の「噓」について書くこともできるし、嘘を言った人物について掘り下げることもできる。その人の言ったことをその通り書かなければいけないものでもない。阿部さんがおっしゃるように体験したこと、記憶したことを、私たちがどう受け止め、次にどう渡していくかということにおいて、結構開かれているし、色々と考えることのできるツールが小説だと思います。
阿部 小説を書く上で、現実への問題意識はありますが、それを実際に体験していない自分が、賢(さか)しらに「こうなんだ!」と言い切るのは、何かが違う気がするんですよね。さらに自分がそれを出来ると思って書いたとしたら、その瞬間に意味がなくなるような気がします。
中島 変質してしまうというか、プロパガンダになるというか……。
阿部 私個人はそうはなりたくないと考えていて、自分の作品の中に何らかの意図や伝えたいものがあったとしても、必ず問いかけの形にしたいと考えています。『発現』を書く目的のひとつにもなったのは、戦争に対して自分なりの標識を立てるということでした。何か一つ事件が起きたら、当然、近くにいた人ほどその様子はよく分かっているはずです。でも、私がこの地点から見た時にはこう見えたという標識を出さなければ、さらに遠いところにいる人にはもっと何が起こったのかは分からなくなる。後の世代や異なる立場の人が見たらどう感じるのか分からないけれど、とりあえず「今の私にはこう見えた」ということを残そう、という感覚でした。
中島 よく講演会などで、「この小説で何を訴えたかったのか、答えを私に教えてください」と聞かれることがありますが、小説を読んでそこから何かの答えがもらえることはないし、それは小説の役割でもないだろうと思います。あくまで小説というのは考えることのきっかけを見つける材料、いわばプラットフォームを提供している感覚でしょうか。自分の関心のあるものを書いて、読者の方に共感してもらえたら有り難い、くらいの気持ちで書いています。
阿部 私もファンタジーを書いている時は標識という意識はないですね。プラットフォームというのは、小説すべてに共通する本質的なところかもしれません。
中島 やはり小説というのは究極、読んでその時間を楽しむもの。楽しいというのは笑えるとか、いい気持ちになるという意味だけではなく、不快な気持ちになることにも読書の魅力はあるんじゃないかと、私自身は思うんです。
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