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あの「記憶」を引き継いで

あの「記憶」を引き継いで

中島 京子 ,阿部 智里

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『発現』(阿部 智里)

中島 小説に出来ることにはもちろん限界はありつつも、一方で影響力は無視できないですよね。ところがその影響力は作者のコントロールできないところにあって――『小さいおうち』を刊行したのは二〇一〇年で、当時、「戦争の時代でもこんなに明るく楽しいこともあったなんて知りませんでした」という、反響が多く寄せられました。確かに自分も戦争といえば暗くて辛いものだというイメージはありましたけれど、調べていると黒や灰色一色ではなく、色んなグラデーションがあった。それを書きましたが、自分自身は能天気に書いたつもりはなく、明るいという感想はショックでした。

 ところが一四年に映画化された頃、時代の空気の流れが、世界的に右傾化と言うか少し変わってきていたんですね。すると、『小さいおうち』は「今の時代に似ている」「知らないうちに軍靴の音が近づいている」怖い小説だという感想が、どんどん寄せられるようになりました。短い期間でこれほど、読まれ方が変わるというのは驚きの体験でした。

阿部 それも小説ならではですね。読者の方の感想に不正解はないわけで、たとえ作者の意図と違う解釈があったとしても、それは違うとは言えないですしね。

中島 読まれ方をコントロールできないからこそ、自分が書く時には、自分自身がある程度のことではぶれない、こういうものを書きたいんだということを、しっかり持っていないと、変なものを世に送り出してしまうことになりかねないと思いました。

阿部 自分がなぜこれを描くのかをしっかり持っていなければ、小説を書けなくなる日が来るだろうと以前から思っていたので、中島さんの話は非常に胸に響きました。『発現』で自分が不得手なところ、さらに自分が絶対やらないと考えていた領域に踏み込んでしまったのは、大学で元兵士の方のお話を聞いた時の衝撃がひとつのきっかけでした。あの時は題材に引き寄せられた感じがしたんです。いつの間にか書くことになっていたのは、私にとって書く必要があったからだと思います。

 本当は加害者の中の被害者意識が書きたくて、もっとミステリーによったものにするつもりだったのが、まったく違う形になって世に出た時には、「本当にこの形でよかったんだろうか」とずいぶん自問自答しました。でももうそういう次元ではなく、そうならざるを得なかった、何か大きいものの手先になったような感じというのか……。

中島 書いているとこの題材に呼ばれたんだと思ったり、出会ってしまったら書かないわけにはいかないという気持ちは、すごくよく分かります。『夢見る帝国図書館』でも確かにそういうところがありました。ある程度調べてはいるけれど、上野の浮浪児についてこんなふうに書いていいのだろうか、とフィクションとして描くことの迷いは、いつものようにあって、「これでいいんでしょうかね」と、登場人物と対話するような感じで書いたのを覚えています。

 でも面白いのは書きあがって本になってしまうと、自分の手からは離れてしまうんですよね。それこそデビュー作の時は、自分の子どものように思っていた本が、プロの装丁家の手にかかって綺麗なカバーもかけてもらったら、成人式を迎えたような気分で(笑)。

阿部 親元から離れて、独り立ちしていくみたいな感じで(笑)。書いている時には作品の神様は自分だと思っているんですけれど、世に出る作品の神様は、また別にいるのかな、という気はします。

中島 阿部さんも含めて、たとえば川越宗一さんの『熱源』や坂上泉さんの『インビジブル』のように、第二次世界大戦も含めた近代史を題材にした小説を書かれる若い方がどんどん出てきているのは、時代の要請というか、やはりそれを書かなければならない、あるいは考えなければならない何かがあるのかもしれませんよね。今は価値観がものすごく変わろうとしてるから、ドラスティックに何かが変わったり、大変なことがあった時代から、何かを学びたいということがあるんだろうと思います。

 あとは松本清張さんが、清張賞を受賞された皆さんにパワーを送っているのかもしれない。坂上さんに「次は戦後すぐの大阪府警を書けー」と、清張さんが念じる姿が思い浮かぶようで(笑)。

阿部 同じ清張賞作家の蜂須賀敬明さんの『焼餃子』も、戦時中の満州などを舞台にした作品でした。私が『発現』の時に思いもよらない流れに飲み込まれていったのも含めて、すべて清張先生の思し召しということでしょうか⁉

中島 絶対にそうだと思います(笑)。


(「オール讀物」二〇二一年六月号)


なかじまきょうこ◎作家。二〇一〇年『小さいおうち』で直木賞、二〇一五年『長いお別れ』で中央公論文芸賞・一六年日本医療小説大賞、二〇二〇年『夢見る帝国図書館』で紫式部文学賞ほか受賞多数。二〇一七年から二〇二一年まで松本清張賞選考委員。

文春文庫
発現
阿部智里

定価:792円(税込)発売日:2021年08月03日

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