3年前、劇的な初優勝を飾った時から、第2回大会は彼にとって避けられないものになっていた。第1回大会で斬新なリーダーぶりを発揮したイチローが、再び頼られるのは当然だろう。そして彼も、あの発言の前から退路を断つ覚悟だった。
「僕が機能しなくても勝てる可能性があるチームだと思っていた」
2009年2月16日、宮崎で代表合宿が始まった。福留孝介、松坂大輔ら第1回大会に出場した顔ぶれに加え、新たにダルビッシュ有、岩隈久志らが加わった代表候補33名。連覇を期待してサンマリンスタジアム宮崎をぎっしり埋めた約4万人が、彼らの躍動に歓声を上げる。前回の合宿初日とは大きく違う注目度も、候補選手らの顔つきを引き締めていた。
「全員が最終的に同じチームでできない。そこが分かっているのですごく難しい」
初練習後の囲み取材で、イチローは静かに話した。合宿後、メンバーが28人に絞られることを指してのコメントだ。前回は喉が嗄れるまで大声で盛り上げたり、円陣で檄を飛ばしていたイチローが、今回はあえて自分を抑えているように見えた。
「僕が機能しなくても勝てる可能性があるチームだと思っていた」
半信半疑で一歩目を踏み出した前回大会とは異なり、今回は最初から連覇を目指そうという雰囲気が代表チームに漂っていた。
ほぼ折れかけていた心がさらに折れた
合宿の中盤、全体練習のない2月19日。イチローは神戸にいた。前日の練習後に宮崎から伊丹空港へ飛ぶと、この日は昼前からスカイマークスタジアムの外野を走り、フリー打撃で気持ち良さそうに大きな当たりを連発した。雨模様の宮崎と対照的に、神戸は小春日和。
「雨の日にホテルで缶詰めになるのはストレスが溜まるでしょ?(この日の自主トレは)自分にはゴルフの打ちっぱなしみたいなもの。心のスイッチを切っているからストレスはかからない。僕にとってはこれが“休み”なんです」
慣れ親しんだ神戸で、行きつけの焼肉屋と喫茶店でお腹と心を満たし、足裏マッサージを受けてから、最終便で宮崎へと舞い戻った。
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