余談であるが、先日、中上健次の『紀州 木の国・根の国物語』(朝日新聞社、一九七八)を読んでいて、こんな一節にぶつかった。〈眼を閉じたくない。いや、私の眼こそ、紫の光を放て。〉――紫の光? なんだろう、と思いながらページをめくれば次章は〈神の眼の紫の光よ/確かそう歌ったのは、ランボーだったと思う。〉と書き出されており、太宰治の《ガスコン兵》気分で読んでいた私はアラッと肩透かしを食ってしまった(第三話「ガスコン兵はどこから来たか」)。もちろんそれが紫の光の正体そのものでないにせよ、そうかランボーの引用か、となればあとは容易に検索できる。一方で、この中上の紀行文はもともと「朝日ジャーナル」誌に連載されており、当時リアルタイムでこれを読んだフランス詩に疎い人はこの謎を一週間引きずるか、あるいは何とも知れぬまま時おり心の裡(うち)で唱えたりするだろうか、とも考えた。そのとき私が手にしていたのは本書のように連載が一冊にまとまった単行本であり、しかしその媒体に囚われず作品の発表当時を空想してみるこうしたものの見方は、他でもない第二章の豊かな《水源地》よりもたらされたものでもある。それと同時に、私の《ガスコン兵》はフランスから来て帰って行った。
第七話「火鉢は飛び越えられたのか」で検証される鏡花と秋聲の確執それ自体は有名な話であるが、意外にもその経緯をこれほど丁寧に見返したものはこれまでなかったように思う。こうして見ると《甘いもの》《火鉢》《殴打事件》――仮に里見弴が書いていなくとも、つい結びつけたくなるどれも強いキーワードが揃い踏みだ。北村氏は『本と幸せ』(二〇一九)の中で〈謎をかかえているのは、トゲが刺さっているようなものだ〉と書かれているが、秋聲が描くのは人差し指の先に出来たほんの小さなささくれのような世界である。強いものの前では風の前の塵(ちり)に同じく、見過ごされる程度の些細な痛み。秋聲と向き合うにはこうしたものこそ大事にしなければならないのに、正直に言えば本作で指摘されるまで《殴打事件》として語り継がれる物語の孕(はら)むこの小さな違和に気がつかなかった。美希と一緒に《……あっ!》と声をあげてしまった。知らぬうちに強いものに巻かれてしまっていたのである。
また、今回のトリックすなわち記憶の改変あるいは思い込み(弴の場合は演出か?)というものは、研究的には本来憎むべきものなのだけれど、北村氏はしばしばこうした現象を面白がっているようにも見受けられる。AとBを記憶のなかで勝手に結びつけてしまうこと、そんな勘違いを単に恥として隠蔽せず、そこに発見と「謎」という新たな価値を見出す視点に眼から鱗が落ちる思いさえしたものだ。そもそも人間とは矛盾を抱えた生き物であり、記憶力など当人が信じるほど当てにはならず、辻褄の合わないことばかり――むしろ不完全な人間なればこその不可解なその脳の働きに関心を抱き、それを大切に掬いあげるあたたかな手腕に、一緒になってこちらが救われた気持ちになるのである。
ただ救われながら、そして鮮やかな謎解きの過程に興奮しながら、本書を読むことで自分がいかに本を読んでいないか、ということを逆に思い知らされる羽目にもなる。打てば響く《お父さん》から溢れる知識にただ感心してはいられない。響かない自分を、恥ずかしい、と思う。「火鉢」の回が発表された当時もそうした気持ちの延長から、登場する『木佐木日記』のくだりの裏側について「あれは『徳田秋聲全集』にある記述を答えただけで、偉いのはこの本とこの本を作った人たちです」と後日、記念館のブログに綴ったところ、全集の担当編集者から「偉いのは作った僕らでなく、読んで使ってくれる人たちです」とすぐにメールが来た。たしかに作ってくれさえすれば本はいつでもそこにあり、この先、読むも読まぬも活かすも殺すもこちら次第。お手軽なことに、そうだ、これから読めばいい、と身勝手な自己弁護をするその耳に《古書を買うのは、人から人への受け渡しだ》という《原島先生》の言葉が響く(第四話「パスは通ったのか」)。古書、新書、そこに記されたものごとすべてが人から人への受け渡し――《原島先生》の言葉のパスをたしかに受け取った編集者たる美希もまた、そんな思いで本をつくっているのだろうか。
最後に、「菊池寛はアメリカなのか」(第八話)。もっとも謎めき、わくわくさせてくれた題をもつこの最終話へのささやかな返礼として、菊池寛ともゆかりの深い洋装好みの徳田秋聲には、現状アメリカもイギリスも確認されませんでした、という報告を書き添えておく。
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