ほとんど唯一無二の大長編である。与えてくれる感動も面白さも、無類のものだ。
とは言え、『いとま申して』の面白さをどう言い表したら良いか、これはきわめて難しい。ひとつのジャンルには括りようがなく、ジャンルミックスと呼んで事足りる作品でもない。類例を挙げて説明しようにも、その類例が思いつかない。だから唯一無二なのだ。唯一無二の個性は、簡単には伝えられないのである。
そもそも第一巻『いとま申して 『童話』の人びと』が刊行されたとき、正直に言えば戸惑った。父の遺した日記をベースに、その若き日々を描くというコンセプトを知って、とても私的な作品のように感じられたし、そういうコンセプトのどこをどうしたら面白くなるのか? とひたすら不思議に思われたのだ。なので恐縮ながら、読まずに済ましてしまった。読んだのは完結編の第三巻、つまり本書の単行本版が刊行されたときである。この機会を逃せば、もう読まないかも知れない。そう考え、覚悟を決めて第一巻から読み始めた。そこからすべて読み終えるまでの一週間が、あれほど豊かな時間になるとは想像すらしていなかった。
前述のとおり、『いとま申して』は作者のお父上、宮本演彦(のぶひこ)氏(以下敬称を略させて戴く)が遺した日記をベースに綴られた作品である。だから当然の如く、物語は基本的に演彦の若き日の歩みに沿って進む。だが第一巻を読み始めて意表を突かれたのは、そういうコンセプトでありながら、『いとま申して』は作者の父が主人公のようにはあまり思えない、という点だった。中心人物ではあるが主人公と言うには控えめで、彼も数多の登場人物のひとりとして扱われているような印象を受けたのだ。だとするとこの作品は、少なくとも読み始める前に考えていたような、父を描くためだけに書かれたものではない、ということになる。では、何を描こうとした作品なのか。
第一巻は〈夢と挫折〉の物語である。日記は大正十三年から始まる。このとき演彦少年は十四歳。
この巻については、少々長いが初読の折に書き留めた感想をここに転載させて戴きたい。初読のときの感動が、よく表れていると思う。