小説という装置は読むことで登場人物たちの人生を疑似的に歩ませてくれる。
作品内の人物が明らかに間違った方へ向かっても、読み手は止めることはできない。もどかしいがどうしようもない。
では現実の人生はどうなのか。
誤った方へ行こうとする自分を止められるつもりでいるが、おそらく小説の登場人物と同じように自由にならない。考えてみれば自明。よほどの自信家を除き、人生において何一つ間違ったことがない人はいないのだから。
慎重に正解を選んだはずでも、そうはいかない。予定通りに事を運んでも、人生は思わぬ方へたどり着いたりする。
竹宮ひかるは、無職で頼りがいはないが結婚の話をし、子供が欲しいと言う男を受け入れていた。しかし、男を金でつなぎとめようとしていたのだと気づく。
ひかるは自暴自棄になり結婚式場の予約を男の名で入れようとする。自分の名は偽名で――そこで紹介されたウェディングプランナーの島尾日菜子は高校の同級生だった。
日菜子にも間違えた過去がある。
離婚して出た家に三歳の子どもを置いてきた。夫に虐待を疑われたが、日菜子に折檻や虐待をした覚えはない。しかし息子の陸の怪我が絶えない責任を感じた彼女は、手元に息子を引き取ることができなかった。
自責の念を抱えるふたりが再会したのは、何かの運命だろうか。
ふたりの共通の記憶は特別列車「あおぞら」。近畿地方をつなぐ私鉄列車のひとつである「あおぞら」号は修学旅行や遠足の団体で貸し切られる。「あおぞら」号には「ソラさん」という「会うといいことがある」まるで座敷わらしのような存在がいるとの都市伝説がある。
会えたらいいことがある「ソラさん」は子どもにとっての憧れだ。登場人物たちを結びつける思い出のキーパーソン。やがて大人になった今も切実に「ソラさん」を求めているように見える。
幼少期から家や親の規範に縛られてきたひかると日菜子の苦しみは別のものではある。しかし、大人に蹂躙されてきた同士、互いに共感を覚えているようだ。
この作品の登場人物は、ひかるや日菜子のみならず誰もが辛い環境下にあるが、逆の言い方をすればどうしようもない運命を引き受けている人々とも解釈できる。
リフォーム関係のブラック企業に勤める森沢達郎もまたその一人。記憶にない暴行の被害を言い立てられ、前職の銀行に居づらくなり、辞めても行き場所は限られている。
社会は失敗した人に厳しく、落伍者には消えない烙印を押す。一旦負のスパイラルに入ってしまったら抜け出ることは難しい。そんな時、達郎はひかると再会をする。
本書ではいくつもの再会が描かれる。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。