二〇二一年春、山口県周南市の大津島を訪ねた。徳山港の南西沖一〇キロほどのところにある小島である。かつてここには、人間魚雷「回天」の基地があった。
港からの長い坂道を上りきった場所に、回天記念館が建っている。門柱から建物の入り口まで続く桜並木の両側に埋め込まれたおびただしい数の小さな石碑は、回天による特攻作戦で亡くなった人たちを慰霊するためのものだ。
石碑には名前と出身地が刻まれ、死亡した日付順に並んでいる。先頭は「黒木博司 岐阜県」そして「樋口孝 東京都」。本書に登場する二人である。
黒木・樋口の両大尉は、この基地が設置された翌日の一九四四年九月六日の訓練で、搭乗艇が海底に突入して動けなくなり、七日に死亡が確認された。開発者の一人である黒木大尉と、彼から訓練を受けるために同乗した樋口大尉が、回天の最初の死者となったのだ。
私が彼らのことを知ったのは、いまから二〇年近く前に読んだ本書によってである。一〇〇基を越える碑銘の先頭に二人の名前を見つけたとき、本書のことを思い、半藤さんのことを思った。大津島を訪ねたこのとき、半藤さんが亡くなられてからちょうど三か月が経っていた。
魚雷を改造した回天という名の特攻兵器があったことは知っていた。だが、開発にまだ二〇代前半の若い将校が携わっていたこと、日本が特攻作戦を開始する前から彼は搭乗員の生還を前提としない兵器を構想していたこと、そして自らその兵器の最初の死者になったことを知ったのは、本書によってである。
私はその後、現代から見ればあまりに残酷なこの兵器のことが気にかかり、資料を集め始めた。
回天はハッチが閉まると中から開けられないだけではなく、いったん発進すると停止も後退もできず、海底に突っ込んだり海岸に乗りあげたりすると動けなくなる。敵艦に体当たりする以前に命を落とすことになるのだ。黒木大尉たちの死亡後も訓練中の事故が相次いだが、改良されないまま実戦に投入され、多くの若い搭乗員が事故で命を落とした。一方で命中率は高くはなく、犠牲に見合う戦果が上がったとは言いがたい。
遺書を残している搭乗員は黒木大尉と樋口大尉のほかにもおり、私はできるかぎり探して読んだ。そうやって少しずつ調べを進め、このときようやく、最初の回天基地が置かれた大津島にやってきたのだった。もとはといえば、本書に導かれたようなものだ。
本書は、半藤さんの著作の中で私が最初に読んだ一冊である。生前の半藤さんには何度かお会いして、アドバイスをもらったり、励ましていただいたりした。だがそれよりも前に、私は本書によって半藤さんに出会っており、その影響は、いまに至るまで続いている。
半藤さんにはいくつもの名著があるが、最初に出会ったのが本書だったことを、私は幸運に思っている。阿川弘之さんが解説で〈戦争を知らず、戦史を全く教へられずに育つた若い世代の方が、むしろ新鮮な驚きを感じるのかと、蒙を啓かれる思ひがした〉と書いておられるが、半藤さんの子供の世代である私は、まさにその通りの経験をした。
ここに紹介されているのは、いずれも苛烈な運命を生きた軍人だ。私などには到底理解が及ぶはずはなく、共感する素地もないと思っていたが、読み進むうちに、彼らの心情がひたひたとこちらの胸に迫ってきた。それはひとえに、遺書を読み解いていく半藤さんの情理を尽くした文章によるものだ。
平易で簡潔な文章の向こうに、死者の無念や悲しみや怒り、諦観や愛情が垣間見える瞬間があり、そのとき、歴史の闇の中から生身の人間が立ち上がってくる気配がする。
さらに、一人だけではなく二八人の軍人の生と死にふれることで、彼らが生きた時代の姿が、おぼろげながら浮かび上がってくるのである。
当時、戦史をほとんど読んだことのなかった私にとって、それは驚くような体験だった。個人の人生を通してひとつの時代精神を浮かび上がらせることができることを、私は半藤さんによって教えられた。
本書と出会ったとき、私はまだノンフィクションを書くようになる前で、硫黄島の総指揮官・栗林忠道に興味を持ち、資料を集めていた。栗林の章があったことから本書を手に取ったのだが、取りあげられているほかの軍人たちにも心をひかれることになった。
初読のときに胸を打たれたのは、玉砕命令に反し、部下を撤退させて自決したミイトキーナ守備隊の指揮官・水上源蔵や、「明日は自由主義者がまた一人、この世から去つて行きます」と書いて出撃した特攻隊員の上原良司、「沖縄県民斯ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」との言葉を残した沖縄戦の海軍トップ・大田実らで、読後、関連書籍を読み漁った。水上少将については、ミイトキーナ守備隊の兵士だった方に会って話を聞いたこともある。
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