こうした人たちの思考や行動にはおそらく多くの人が共感し、その人間性に感動するだろう。だが、私は次第にそうではない人たち、つまり現代ではなかなか理解しにくい価値観を持っていた人たちのことが気になるようになっていった。安達二十三、宇垣纏、大西瀧治郎、親泊朝省、満淵正明といった人たちである。
半藤さんは、彼らを現代の価値観で一方的に断罪することをしない。その心情を汲みとりつつ、死に至った道程を冷静に描いていく。その文章を読み返していると、現代の私たちが理解できない人たちの中にこそ、知るべき何かがあるような気がしてくる。
彼らに関しては現在まで細々とではあるが資料を集め、取材を続けている。そのうち何人かについては短い文章を書いて発表したが、今後もう原稿にすることがないとしても、引き続き調べるつもりでいる。それは、彼らの生き方と死に方に、軍人について考えるヒントがあると思うからだ。
私がデビュー作となった栗林中将の評伝を刊行したのは二〇〇五年のことだが、取材・執筆する中で考えさせられたのは、軍人とは何かということだった。
硫黄の臭気が漂い、川が一本もない硫黄島で、水不足に苦しみながら指揮を執った栗林。設備が整い、水も食料も豊富で居住性もよい父島から指揮を執ることもできたが、部下たちと同じ環境の中で闘うことを選んだ。全島を徒歩で回って一人一人に声をかけ、食事も一般の兵と同じものをとり、階級による差別を許さなかった。慰安所を作らず、島民を戦闘に巻き込まないよういち早く内地に疎開させてもいる。
犠牲を増やすだけで勝算のない戦争をこれ以上続けるべきではないとして、大本営に早期停戦を具申し、最後の戦訓電報では、大本営の見通しの甘さや陸軍と海軍の縄張り主義を正面から批判した。
戦いにおいては、刀を持って敵陣に突っ込むバンザイ突撃を禁じ、地下に立てこもって島を死守、その戦術と統率力は敵である米軍からも高く評価された。
だが、水も食料も武器も尽きた戦場で、一日でも長く生きて闘えと命じるのは、もっとも苦しい死に方を部下に要求することにほかならない。
私が取材した硫黄島戦死者の夫人は、夫は米軍の上陸初日に死んだと思いたい、と言った。一日生き延びれば、一日分長く地獄を味わわなければならなかったから、と。
硫黄島で亡くなった人の戦死公報はすべて、死亡日を三月一七日としている。これは最後の突撃が予定されていた日だ。だがこの未亡人は、夫の命日を戦闘初日の二月一九日と決め、毎年この日に法要を行っていた。一日でも早く死んでほしかったという願いを込めて。何と悲しい願いだろうと思うが、遺族の心情とはこのようなものであろう。
栗林が公平無私かつ部下思いだったことは多くの証言や実際に下した命令の記録、戦訓電報、最後の突撃前の訣別電報などから明らかである。そういう人が、愛する部下にもっとも過酷な死を求めたのだ。戦争から遠く離れて生きる私たちにはなかなか理解しがたいことである。だが、半藤さんが選んだ二八人の人生を知り、その遺書を読んだことは、私がその後の取材と執筆で、軍人としての栗林を理解する助けになったと思う。
彼我の戦力差から勝利はありえず、しかも退却は許されない孤島の戦場。全員が死ぬことは前提の戦いである。ならば、どうすれば部下は“甲斐ある死”を死ぬことができるのか。そう考えた末に栗林は、本土への空襲を一日でも遅らせ、民間人の死者を一人でも少なくするための出血持久戦を選んだ。
のちに私との対談で半藤さんは「軍人というのは生より死に価値を与える人たちですね。死を価値あらしめるために、最大限の努力を捧げる人たちです」と言われた。
このことを念頭に改めて読むと、本書に出てくる軍人たちの行動原理がわかってくるように思う。彼らにとって「よく生きる」ということは、現代の私たちの思うヒューマニズムと同じではない。
いまさらそんなことは言うまでもない、古今東西、軍人とはそういうものだと言われればその通りだ。しかし、敗戦以来、軍人というものがいなくなった日本では、軍人とは何かを誰も教えてくれない。それがわからなければ、戦争とは何かもわからないはずなのに。
若者たちが歴史を知らないと嘆く声を聞くが、現在の日本では、一五歳も七五歳も、戦争を知らないということでは同じである。戦争を考えるためには軍隊を知り、軍隊を知るためには軍人とは何かを知ることも必要であるに違いない。
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