- 2022.08.10
- コラム・エッセイ
北欧ミステリーの女王&最強のメンタリスト スウェーデンで20万部突破の話題作
富山クラーソン陽子
『魔術師の匣 上下』(カミラ・レックバリ ヘンリック・フェキセウス)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
事件を追うヴィンセントとミーナのコンビに加え、特捜班の刑事たちも個性にあふれている。三つ子が生まれたばかりで終始寝不足である気のいい若手刑事ペーデル。一見不愛想で昔かたぎの鬼刑事クリステル。不遜で女性関係が奔放なルーベン。こうした癖の強い面々を率いるのが、警察高官を父に持つ切れ者のユーリアである。衝突や不和を経て、徐々にチームワークが機能してゆく彼らの物語に加え、ミステリアスな空気をたたえた〈クヴィービッレ 一九八二年〉と題する断章が挿入される。イェーンという少女を中心に、徐々に不穏な影を増してゆく一九八二年の物語が、連続殺人とどうからんでくるのかも読みどころである。
しかしなんといっても魅力的なのは、主人公コンビであろう。
ヴィンセントはフェキセウスの分身のようなメンタリスト。登場して早々、「紙袋と釘」を用いた奇術を披露して華麗な姿を見せる彼は、「数字」に執着する心の偏りがある。家庭生活も妻と前妻が姉妹であるという一事からもわかるとおり、なかなか複雑だ。こうしたヴィンセント個人の物語でもハラハラさせてくれるあたりは流石のレックバリ。利発な息子ベンヤミンが推理に貢献する一幕もあり、今これを書店で立ち読みしている方や、本文より先にあとがきから読み始める読者の方々には、紙と鉛筆を用意してお読みになるのをお勧めします。その理由はヴィンセントとベンヤミンの「ある場面」を読むと、おのずと分かっていただけるはずだ。
もう一人の主人公ミーナは、ちょっとした生きづらさを抱えている。思ったことをつい口に出してしまう癖や、強度の潔癖症のせいで、うまく人間関係を構築できなかった彼女がようやく見つけた居場所がユーリア率いる特捜班であり、はじめて彼女が安心感を抱けた人物がヴィンセントでもあった。彼女の過去には謎が多く、本書にもミーナがひそかに監視する少女のエピソードがあって、どうやらミーナの過去には、まだまだ語られていない秘密がありそうだ。こうした謎については続編以降で語られていくことになる。
ちなみに消毒液を肌身離さないというミーナの癖は新型コロナウイルスのパンデミック以前に生み出されたものだが、コロナ以前は、彼女の行動は極端過ぎないかという意見が関係者からあったようだ。しかし感染が拡大するにつれ、そういった声は減少したとのこと。レックバリは二〇一四年に来日しており、そのとき目にしたマスクと手袋姿の日本人からかなりのインパクトを受けたのか、本作品ではそんな日本人がミーナの理想として描かれている。その他にも、折り紙や忠犬ハチ公の映画など日本の要素がいくつか登場するので、ニヤリとする読者も少なくないのでは。ヴィンセントの車が日本のメーカーなのもちょっと嬉しい。
ヴィンセントとフェキセウスはよく似ていると先ほど書いたが、そのせいだろう、ミーナがヴィンセントを意識する箇所(それとおそらくヴィンセントの官能シーン)は、さすがのフェキセウス氏も照れくさくて書けなかったらしく、百パーセント、レックバリに任せたと告白している。本作にはヴィンセントの等身大パネルが登場して、ちょっとした活躍をするが、現実のフェキセウス宅にも、ご本人より数センチ背の高いレゴでできた像が立っていて、両手を広げて訪問客を迎え入れているとのこと。これを見た訪問客は本作中でのヴィンセントの妻マリアと同じリアクションを見せるのだという。
本物のメンタリストが著者なだけに、ヴィンセントの心理描写は極めてリアル。そこに、個性あふれる刑事たちや犬(!)といった、レックバリの看板シリーズ〈エリカ&パトリック事件簿〉を連想させるキャラクターが加わる。〈エリカ&パトリック〉シリーズのファンの方にも安心して楽しんでもらえる満足保証の作品となっているのだ。レックバリ自身も、政治社会的なテーマは抑えてエンターテインメント性を強調して書いたと言っているので、楽しくお読みいただきたい。
さて本作はどちらかというとヴィンセントの物語という性格が強いが、第二作はミーナに焦点を合わせている。ちなみにわたしはすでに読み終えていて、Kult(カルト)というタイトルからして意味ありげなこちらも、あまり間をおかずにお届けできるはずなので、乞うご期待。
なお本シリーズは三部作構想で、一作ごとにすべてが解決されるわけではないことも付け加えておく。二作目、三作目と読み進むにつれ、「そういうことだったのか!」という驚きも体験していただけるはずだ。
最後に、コロナ禍の中、本作品の出版に携わってくださった文藝春秋の方々には、心からの感謝を申しあげたい。
二〇二二年六月
(訳者あとがき)より
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