「逃げてよかったんだって……そう思えてくるんです」デッドボールをよける選手を「臆病者」と思っていた清原和博の心変わり
私は話を聞きながら、なぜ清原が最初に亀について話し始めたのか、その理由を頭の隅で考えていた。
窓際の水槽からソファの前のガラステーブルに目を移すと、タバコの箱や灰皿にまじって白い冊子が置かれているのが目に入った。上から厚く塗りつぶしたようなその白はこの部屋の中で妙に浮いていた。
「それは何ですか?」
私が訊くと清原は「ああ」と言って、冊子を手にとった。
「薬物の治療にいくと最初に先生からもらうんです。教科書みたいなもので、いつも持ち歩くようにって言われてます」
清原によれば、それは「ホワイトブックレット」と呼ばれる薬物依存症の治療テキストなのだという。私は差し出された冊子を手にとってみた。表紙に横書きのアルファベットが並んでいることから和訳されたものだと分かった。最初のページをめくると、ひと際大きな文字でこう記されていた。
『私たちは、アディクション(薬物依存)に対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた』
なぜ清原が亀のことを話したのか、その一節が物語っているような気がした。
覚醒剤もコントロールできると思っていた
「ぼくね、野球人生で一度も代打を送られたことがないんですよ。どんなピッチャーがきても打てる自信があった。だから覚醒剤も自分でどうにでもコントロールできると思っていたんです」
清原は冊子に目を落としている私に言った。
「でも無理でした。負けました……」
その問わず語りを私は黙って聞いていた。
それから清原は立ち上がって、テレビの脇にある棚のほうへと歩いた。何段かに分かれた棚の一番上にはひとりの女性の写真が飾られていて、その脇には水の入った椀が供えてあった。
「いまは朝起きたらお母さんの写真に手を合わせて、水を替えて、それから一日を始めるようにしているんです」
前年に他界した母親の弘子はフレームの中からこちらを見て微笑んでいた。その下の棚には西武ライオンズでの入団発表を皮切りに、時代ごとに違った色のユニホームをまとった清原と家族の写真が、まるでひと続きの物語のように並べられていた。
そして一番下には3本のバットがたてかけられていた。清原はそのうちの真ん中の1本を手にした。
「甲子園の決勝でホームランを打ったときのものです。記念のバットはたくさんありましたけど、もう手元に残っているのはこれだけなんです」
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