過去を生きた人々のドラマを今に物語として蘇らせる。歴史を書くこと、読むこと、その魅力とは――。作者たちが自らの体験を踏まえて、縦横無尽に熱く語り合いました。
澤田 尊敬する作家としてずっと浅田さんのお名前を挙げてきたので、お会いできて本当に嬉しいです。初めて拝読したのは高校生の時で、友達に薦められた『プリズンホテル』に、私の方ががっつりハマってしまって。
浅田 高校時代にあの本が出ていたというと、お二人とも40代?
川越 はい。僕は44です。
浅田 若いなぁ。それにしても高校生のお嬢さんが極道お笑い小説によく手を伸ばしましたね。先日は孫が読んでいてショックだったのですが(笑)。
澤田 お孫さんが御作を読んでいたら嬉しいのではないですか?
浅田 もっと他にも色々あるのに、よりによって、極道の人々が経営するホテルの話を選ばなくても、と。
澤田 でも、『プリズンホテル』はただの極道小説ではないですから。1990年代の極道小説ってもっと荒々しくて下ネタ混じりの笑いに走っていましたが、それとは一線を画していて、主人公の成長も感じられます。他の御作も大好きですが、最初に読んだ一作として忘れ難いです。
川越 僕は最初に読んだ『中原の虹』で活躍する張作霖が大好きになりました。
浅田 シリーズ第一作の『蒼穹の昴』より先に?
川越 書店で『中原の虹』一巻目がどんと積まれていて。そこから遡って読みました。
浅田 長く続けているとそういうことが起きるんですよね。途中から入る読者にも分かるように書かなくてはならないのが大変で。
川越 浅田さんが書かれる張作霖は、一人称が「俺様」というところも最高ですよね。中国語でそういう自称があるかは分からないですけれど、馬賊の頭領がいかにも言いそう。僕は張作霖を山野の悪党みたいに思っていたので、こんなに格好よく書けるものかと思いました。ラストなんて映画のように華々しい。
浅田 当時のイメージとしては、袁世凱や孫文が天下を賭けた麻雀の卓を囲んでいて、ノーマークの張作霖がいきなり渋く「リーチ」と宣言して全員が驚愕する……という感じだったと思いますよ。
川越 あの長城を越えて行くシーンの勇壮さがまさかリーチの場面だったとは……でも、まさにその通りですね。
浅田 構想段階では『中原の虹』で彼の死まで書く予定でしたが、英雄譚とするためには最も格好いいところで終わらせなければいけないと思って、張作霖爆殺は次作『マンチュリアン・リポート』まで送りました。
澤田 あの作品の視点の取り方には驚きました。
浅田 複雑怪奇な事件の全容を、どうしたら“事実”以上にドラマティックに小説に書けるかと考えると、誰の視点でも人間では足りない……というところで「機関車視点」があるじゃないか! と思いついたわけです。
澤田 神様や動物という視点はいくつかお書きになっていますが、無機物視点は初めてではないですか?
浅田 少なくとも機関車は初ですね。
近い歴史を書く難しさ
浅田 96年に『蒼穹の昴』、97年に第2作『珍妃の井戸』を刊行して、3作目の『中原の虹』を書き出すまでには8年がかかってしまいました。これは諸事情あるのですが、一番には当時まだ張作霖の息子・張学良が存命だったことが大きかった。
川越 そうか、彼は100歳と長命だったから……。
浅田 晩年はハワイに住んでいたので、ホテルの下まで何度行ったか分かりません。面会とまで言わずとも目撃したい、同じ空気に触れずに書いて良いものか、という気持ちがありました。執筆に許可を得たいわけではなくとも、近い歴史を書くということは、作家の精神的に難しいと痛感しましたね。お二人もそういう経験はあるでしょう?
澤田 『星落ちて、なお』で絵師・河鍋暁翠を書いた際は、お孫さんがご健在なので、お目にかかりました。幸い「小説なんだから好きに書いていいですよ」とおっしゃって下さいましたが、お会いするまでは躊躇がありました。書いては駄目と言われたらどうしよう、と。なので、いっそ最初からお目にかからないのも、ひとつの手かもしれませんね。
川越 僕も、先日書き終えた『見果てぬ王道』という小説では、連載開始前に主人公の曾孫の方にご挨拶しました。孫文を資金面で支援した梅屋庄吉という人物のご子孫なんですが、色々と詳しく教えて下さってとても有難かったです。
澤田 ただ、あまり聞き過ぎてしまっても却ってやりづらくありませんか?
浅田 河鍋暁斎にしても孫文にしても客観的な事実は資料の中で十分に集まりますからね。それとは違う情報がお身内から入ってくると戸惑うでしょう。
川越 そこは難しいなと思います。関係者ならではのエピソードを伺えると、情報は増えるのですが、逆に想像は制限されてしまいそうで。また、影響を直接に受けた人々が生きている程に近い時代に関しては、物語にしてはいけない歴史事実というものもあると考えています。何でもかんでも面白がってはいかんというか……。
浅田 特に、孫文というのは非常に評価の難しい人ですからね。
川越 『蒼穹の昴』シリーズでは、孫文はお書きになりませんでしたね。
浅田 孫文の扱いには非常に迷いました。中国本土でも台湾でも孫文が国父であることは間違いありません。彼は神格化された側面があると思うのですが、実際に革命のための支援集めの役割においては大したものだったし、その資金なくして革命は成らなかったでしょう。ただ、多くの人が死んだ革命で孫文は血を流さなかった、という事実も抜きがたい思いとして自分の頭の中にある。なので、美化も批判もしないためには、孫文を登場させない、という結論に落ち着きました。孫文に実際に会ったという人はまだいるんでしょうかね?
川越 百歳くらいのおばあちゃんが小さい頃に抱っこされたことがある、と語るくらいの感じかもしれません。
浅田 それは、小説に書くのにちょうどいい頃合いですね。
澤田 近い歴史を書くのは難しい、ということで言うと『蒼穹の昴』シリーズはどんどん現代に近づいてきていますから大変ですよね。最新の『兵諫』(第6作)などは、それこそ関係者がご存命な人物がわらわら出てきますし……。
浅田 今後ますます増えますね。
澤田 いちファンとしての質問で恐縮なのですが、『兵諫』の次作でシリーズ完結なのでしょうか。
浅田 その予定ですが、これまで出した登場人物すべてに決着をつけなくてはいけないので生半可ではないですね。きれい好きな質だから、ほっぽらかしが嫌なんですよ。洗車でも綿棒で仕上げするくらいですから(笑)。
澤田 読者の立場から語りますと、「あの人はこういう人生を歩んでいったんだ」ということが知れるのはとても嬉しいです。
浅田 ありがとうございます。妙な話ですが、自作を何度も読み返すので、抜けがあると自分自身が誰より納得いかない。
澤田 私、怖くて自分の本を読み返せないんです。
浅田 読み返す時の絶対条件は“決して直さないこと”です。書く時には未来の自分が一番厳しい読者だと思って書く。その気概をもって書いたなら、過去の自分にも敬意を払わなくてはいけないから、書き直しはしない。
川越 僕は今まさに、雑誌連載した原稿を単行本化に向けてゲラでチェックしているところなんですが、浅田さんはこの段階も、直しは入れないですか?
浅田 もちろん、直すべきだと思った箇所は直しますよ。ただ、小説家って別に特別な職業ではなくて物作りの職人なんです。家を建てて、大工さんに「後で直す」って言われたら腹が立つでしょう。一発勝負が普通の職人の世界で、小説だけ直す段階が何度もあるという考えは、甘いと思います。
川越 連載でいっぺん人目にふれる以上、その段階で完璧を目指さないと、ということですね。
浅田 ただ、後で新資料が出てきちゃった、ということは起こり得ますよね。これは歴史小説の宿命として。
歴史作家としての出発点
浅田 『壬生義士伝』を書いた時には多少、「そろそろ時代小説を」という気持ちもありましたが、その前の『蒼穹の昴』の時点ではほとんど意識していなかった。特に、中国近代史というのは自分でも一番強い分野だと思っていたので、いつ書いても大丈夫だと思っていました。ただ、『蒼穹の昴』の始まりは春児(チュンル)と玲玲(リンリン)という少年少女が出てくるので、子供時代の感情が分かるうちに書いたほうがいいなと。当時、自分が40代で、ぎりぎり今ならと思って書き始めた。お二人も今のうちに子供を書いておくといいですよ。
澤田 私はまだ自分が子供に近いと思っています。大人である気がしていなくて。
川越 僕も、いい年をしてと思うんですが、いまだに大人に憧れている感じがあります。
浅田 それでいいと思います。
川越・澤田 いいんですか!?
浅田 私も40代の頃はそういう気持ちで、だから子供を扱う作品は割とその年代に多く書いています。あと10年経つとジジイばっかり出てくるようになりますよ。得意分野と言ってもいいですね。
澤田 老人を上手く書くコツはなんでしょう。
浅田 あなた方の年の頃から、街でよく観察していました。子供は自分が通ってきた道だから懐かしく思い出せる一方、老人というのはこれから自分がなるものだから興味深い。自分はどんなジジイになるんだろう、と。サウナでは「そこは私の席だ」といわれなき既得権益を主張するジジイに出会い、競馬場では見知らぬジジイから厚かましく祝儀をせびられる。その度に腹を立てながら、なるほどこれがジジイか、俺の行く道か、と心に刻むわけです。
澤田 心温まるジジイはいないんですか(笑)。
浅田 ついぞ出会いませんでしたね。人間、頭に来たことほど覚えているものなので、良い事をしてくれても忘れているのかもしれませんけれども。
資料と現地取材
浅田 かように作家には常に観察する眼が必要なわけですが、歴史小説家の場合はもうひとつ、調べていくうちに資料を読むほうが面白くなっちゃうという壁がある。
澤田 あります、あります。できれば書かずにずっと資料を読んでいたいほど。文化や風土、文物を調べていると、それ自体が物語抜きでも十分に面白いように思えてきてしまうんです。
浅田 調べもの、好きそうですよね。
澤田 調べて面白かったことを「誰かに伝えたい」という気持ちが強いんです。「これ、面白いよ」という感動が先に立ってしまう点が学者には向いていなくて、小説を書くようになりました。古代史や日明関係などを書くにあたっては、学生時代に教授に中国へ連れて行ってもらった経験が大きく影響していると思います。人の顔色を窺わない大陸的な感じが、私はこの国で暮らしていける、と思うくらい肌に合ったんです。しょっちゅうホテルを抜け出して街歩きをしては教授に怒られていました。
川越 歴史を見ても、中国の人はみんなエネルギッシュというか、あの広い国土の色んな場所で同時多発的に色んな事をしていて、一点で起きた事が全体に影響したり、個性と個性のぶつかり合いがもの凄い。史実を調べて、説明しているだけでも楽しくなってきてしまうんですよね。小説に書くことと書かないことの切り分けが大変でした。
浅田 日本人の感覚ではいわく言い難い混沌ですね。中国ものを書いていて怖いのは、あのスケールが実感できないこと。北京市内の一街区を歩きながら話す場面でも、東京とは所要時間がまったく違う。澤田さんが街歩きをしたというのは距離感をつかむ上で非常に分かります。川越さんは、現地には?
川越 ちょうどコロナ禍に取材期間がぶつかったせいもあって、中国には行けずじまいです。そのぶん必死に想像を膨らませるしかないですね。あとは、僕は等高線入りの地図をよく見ます。高低差、街中に坂があるのか、1キロ歩くにしても上りなのか下りなのか。そういったところが気になるので。
浅田 現地を見ないことにも利点はあって、美しい想像ができるんですよね。実際以上の風景が書けたりもする。私も初めての中国は『珍妃の井戸』の取材でしたから、『蒼穹の昴』は想像だけ。
川越 あの、におい立つような猥雑な感じとか、紫禁城の様子とか、全部想像だけで書かれたんですか。
澤田 埃っぽくて乾燥している村の空気も。
浅田 全部、資料と想像です。資料に関しては日本のほうが充実しているくらいですから。中国は共産党国家ゆえの難しさがあって、どうしても国家が善悪で分けた偏りが資料にも出てしまう。例えば宦官は前提として「悪」であるというような。その点、日本には京都大学を中心として中国学の蓄積がありますので。京都の大学図書館にはずいぶん通いましたね。
川越 現地取材ができる時は、何に注目されますか?
浅田 もっぱら植生、そして気候です。どんな木が生えていて、季節によって何が咲くのか、山風か海風か川風か、湿度はどのくらいか。日本文学は花鳥風月を書くのが真髄だと思っていますので、取材の値打ちは風土を体感できることに尽きます。その点、二人がお住まいの京都はいいですね。土方歳三の見たままの山並みが、今も変わらず街の遠景にある。
憧れの京都、坂道の東京
川越 僕は京都に住んだのは大学以降なので、20年が経つのにまだ日常の感がないんです。
浅田 生まれ育ちが違うと暮らしていてもどこか非日常なものですか。
川越 はい、大阪育ちなので。
浅田 近くても大違い、というのが大阪と京都の面白いところですね。
川越 大阪をほっつき歩いていても五重塔や「坂本龍馬遭難の碑」なんかにはぶつかりませんから。澤田さんはずっと京都ですよね。
澤田 親は中部の出身なので生粋の京都人というわけではないですが、生まれてこの方、京都住まいです。
浅田 京都には永遠に憧れを抱いているので、実際に住んでいる人が日常的に神社仏閣に行ったりするものなのかというのは興味があります。
川越 僕はけっこう行きます。朝早くの大徳寺とか、貸し切り状態なので、これは京都在住でないとなかなか味わえないなと。観光客が激増してからは少し遠ざかっていたのですが。
澤田 コロナ禍で人出が減ったことで、長らく出かけていなかった龍安寺や建仁寺、平安神宮の庭園などにも行ってみました。
川越 僕もこの機会に奈良の東大寺まで行きました。大仏と二人っきりで、こんな贅沢でいいのかなと思う程でした。
浅田 いくつになっても京都の旅では限界まで予定を詰め込んで見て回ってしまうので、住んだらどうなるのかなと思ったんですが、お二人の様子だとやはり地元の方でも名所は見たいものなのですね。ただし、空いていれば(笑)。
澤田 私は逆に、東京に初めて行った時に、街が平らでないことに衝撃を受けました。
浅田 面白いな。東京者としては京都に行った時に観光用に貸自転車屋があることに驚くんです。あれは、盆地の中で平面に展(ひろ)がる街ならでは。
澤田 東京の地名で愛宕山(あたごやま)とか白山(はくさん)とかありますが、まさか本当に山とは思わなくて、白山から東大へ抜けようとして坂道の凄さに絶望したことがあります。
浅田 「関八州の大将になれ」なんて巧い事言われて、いざ江戸を見た家康は愕然としたと思いますね。高台と谷地だらけで平地なんて申し訳程度しかない。だから東京の人間って東西南北の方向感覚がないんですよ、高低差のせいで日の出日の入りが見えないから。
澤田 江戸以降については、京都より東京のほうが歴史が身近に感じられる気がします。柳沢吉保の造った六義園や、加賀屋敷御門だった東大の赤門のように、ここが誰の藩邸だったというような歴史が、現在の街の延長線上にあると思えて。京都や奈良はあまりに時間的に磨かれすぎていて、手が届く感じがやや薄いんです。
どこまでが“歴史”か
澤田 『大名倒産』の冒頭で、ご自分の子供の頃にはまだ江戸時代生まれのおじいさんが近所に居た、という話を書いていらっしゃいますよね。
浅田 ここがお二人との違いで、僕にとっては幕末というのはぎりぎり手の届く時代です。東京は戦争でいったん物質的には壊滅した街だけど、文化というのは焼野原になっても滅びない。子供の頃に新内流しとか獅子舞とか、いわゆる門付けといって玄関先で芸をしてお代を取る人たちがちょくちょく来たのを覚えていますから。
川越 獅子舞って正月以外も来るものだったんですね。
浅田 三河万歳(まんざい)なんていうのはもっと凄くて、太鼓叩いて家に躍り込んでくる。
澤田 中まで入ってくるんですか!?
浅田 元は家康が三河から連れて来た人だから追い払ってはいけないという伝説があって。もう江戸時代の地続きそのもの。こういう体験があることは幕末を書く上では有利だと感じています。
澤田 大正から昭和へと進んでいく『天切り松 闇がたり』シリーズに関してはいかがですか?
浅田 これはもう親父や祖父さんが生きた時代ですから、歴史小説という意識はありません。そもそもは東京弁の保存装置になればいいと思って書き始めたんです。
澤田 『壬生義士伝』しかり、登場人物の方言や時代の言葉というものを非常に重視なさいますね。
浅田 それは信条ですね。言葉が消えると中身も無くなるんです。東京でいえば江戸から続く東京弁が失われたと同時に東京人のダンディズムが消えて、とても格好悪くなった。もしも京都弁が標準語化されたら、京都人の持つ佇まいもなくなる気がします。
澤田 京都の中でも祇園祭の鉾(ほこ)町の辺りの方の、いわゆる京言葉は、我々が広く使う京都弁ともまた違って、とても美しいのですが、若い世代はあまり喋らなくなっていると聞きますね。
浅田 それは嫌だなぁ、私の憧れの京都をなんとか残してほしい。
澤田 そこまで京都を愛して下さってありがとうございます(笑)。
歴史時代小説の豊かさ
浅田 現代を舞台にした小説というのは、どんどん書きにくくなっていると思います。みんなスマホを持って歩いていて、すれ違いも起きようがないんだから。お二人はもう携帯世代ですか。
川越 大学に入った頃からですね。
澤田 私も20歳を過ぎてからなので“連絡が取れない”ということをまだ知っている世代です。
浅田 じゃあ、恋人の家に電話をしたら親が出るという経験は……。
川越・澤田 あります(笑)。
浅田 現代の若者にはないんですよ。このシチュエーションだけで短篇一本になるのに。こうまで何もかもデジタル化されてしまうと、ロマンが生じる余地がない。だから今、歴史時代小説がよく読まれている意味は非常に分かります。
澤田 私は松本清張さんの「百円硬貨」という短篇が大好きなのですが、大金を手にしながら公衆電話をかける小銭が無い、という状況が現代では再現不可能ですよね。現代物のミステリーをあまり読まなくなった一因には、デジタル的な味気なさもあるかもしれません。
浅田 例えば江戸時代は時刻だって寛永寺か増上寺の鐘が基準ですから、新宿辺りまで音が伝わっていくのに30分くらいずれる。江戸の中で時差があるけど、誰も気にしないし、生活は支障なく回る。この今は失われた“だいたい感”が読者に求められているのではないでしょうか。
川越 僕の場合は、現代に生きている自分自身が物事に流されているというか、もっと我武者羅にならなくていいのかなと悩んだりするので、いっそう歴史に惹かれるのかなと思います。特に中国の歴史を見ると、みんな無茶苦茶な事をしていて、その生命力に憧れる。全力で生きて全力で死ぬ、みたいな。日本の歴史でも同じですね。だから、僕は人間のエネルギーを感じられれば、読むのも書くのも、どの時代であっても興味があります。
澤田 人間の一生って喜怒哀楽の色んな事が起きて、死んでいく。その積み重ねが歴史だと思うと、どこを切り取っても面白い。信長や秀吉だけでなく、無名の人にもドラマがあるし、私はそれを掘り起こしたいんです。
浅田 古代から近代まで作風が幅広いから、調べものも大変でしょう。今は何をお書きですか?
澤田 「オール讀物」では隠元禅師を。本になるのは少し先ですが。
浅田 隠元といい、孫文といい、難しい的(まと)を狙われるから、お二人とも頼もしいですね。こうして話していても、歴史時代小説には無限の可能性があると感じられます。
写真◎石川啓次
(「オール讀物」12月号より)
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