ベストセラー『家康、江戸を建てる』や直木賞受賞&映画化で話題の『銀河鉄道の父』などで知られる門井慶喜さんの最新刊は、文豪であり、文藝春秋社の創業者でもあった菊池寛を主人公とした歴史小説です。芥川賞、直木賞の誕生秘話なども明かされる本作。刊行にあたり、門井慶喜さんに本書への思いを綴っていただきました。
文豪は偉い。社長も偉い。ならばその両者を兼ねた菊池寛は英雄級の偉人であるはずなのに、どうもそういう感じがしない。
彼がつくった文藝春秋という会社のサイトでこんなことを言うのは気が引けるのだが、私には彼はむしろ英雄というより巨大な子供、あるいはいっそコメディの主人公のように見える。要するに隙だらけの人生なのである。
菊池寛は明治二十一年(一八八八)、高松に生まれた。
おさないころは蜻蛉釣りや百舌狩りに熱中していたというから、まあ野生児である。中学生のときには川で釣った魚を制服のポケットに入れて持ち帰ったこともあったとか。
その後、京都帝国大学の英文科を卒業して、作家となって長編『真珠夫人』が売れに売れ、ポケットマネーで文壇随筆雑誌「文藝春秋」を創刊した。
創刊号はわずか二十八ページだったけれども、これがまたよく売れて分厚くなり、時事問題をあつかう総合雑誌となり、そうして困難な戦争に直面して……などと言うといかにも東京の知性派、スマートな成功者のように見える。だがその発展した文藝春秋社の社長室はやっぱり本質的には高松の野生児のものだった。
あのころ蜻蛉釣りや百舌狩りに熱中したように、寛は将棋に熱中したのだ。会社の業務があろうがなかろうが、客が来れば一局指した 。
それはしばしば二局、三局に及んだ。特によく指したのは盟友の作家・直木三十五で、社長室には勝敗表まで貼られていたという。こんな様子をまのあたりにした寛の友人でジャーナリストの阿部真之助は、
「文藝春秋社の真の社長は菊池寛ではない。将棋盤である」
という意味の名言を残している。賛嘆したのか呆れたのか。いっとき寛は将棋盤どころか大きな卓球台まで置いたのだった。
社長がこうなら、当然、社員もその風に染まる。彼らは仕事もしたが遊びもした。或る新入社員(鷲尾洋三)が専務に「出勤時間は九時」と言われて九時に来たら、嘘のようにがらんとしている。
待っていると、前の年に入社した若手が眠い目をこすりこすり出て来たのが十時か十一時、さらに待って編集長格が出そろうのは、ひいき目に見て午後二時だった。
たぶんみんな前の晩、遅くまで飲んでいたのだろう。「怖るべき会社だと思った」(『回想の作家たち』)。その鷲尾の出勤もほどなく十時半になったという。戦前の話ですよ。
かくして菊池寛は英雄ではなく、文藝春秋は四角四面の会社ではない。私はこのたび刊行した『文豪、社長になる』において、こんな創業者と編集者たち、それを支えた作家たちを息を切らして追いかけたが、書きながら、ひとりで笑ってしまうことが何度もあった。
もちろん日中戦争や太平洋戦争に際しては笑えぬ事件も多々あったにしろ(私はそれを包まず書いた)、それでも書き上げたときは何かしみじみとした清涼感が胸に湧いた。
われながら不思議な感慨だった。歴史という古雑誌を一冊読み上げたような、とでもいえようか。「文藝春秋」創刊百周年の記念すべき年に、読者にも共有してもらえたらうれしい。
かどい・よしのぶ
1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2016年に『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、同年咲くやこの花賞(文芸その他部門)を受賞。18年に『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞。著書に『家康、江戸を建てる』『ゆけ、おりょう』『東京、はじまる』『地中の星』『信長、鉄砲で君臨する』『江戸一新』など多数。
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