北村 ところで、門井さんが最初に読んだ菊池寛作品は何ですか。
門井 僕は『無名作家の日記』なんです。岩波文庫で読みました。大学4年生くらいだったと思います。
北村 私は中学の時、教科書に『形』が載っていて、「つまらないなー」と思ってね(笑)。槍の名手が主君の子と服折(ふくおり)と兜(かぶと)を交換して戦場に行ったら、名手が敵にやられてしまう。先生から「意外な結末」って紹介されても、「物語の組立からいって、当たり前じゃん」って思って。
門井 中学生でそこまで(笑)。
北村 今にして思えば、自分が成長していなかった。単なるオチの話として読んでしまった。本来はそういう事実の恐ろしさや簡潔な表現を読むべき。いまは「菊池先生、申し訳ございません」というしかない(笑)。誤解されないように言えば、菊池作品には中学生が読んでも分かりやすい作品が多いんですよ。
門井 中学生に読ませるのにはすごくいい。テキストとして堅実なんです。自分の思ったこと、考えたこと、いま目の前で起きていることを、確実に最短距離で読者に送り込む文章。日本人全体の技能向上のために、学生は菊池から学んで欲しい。僕は鴎外や芥川が大好きですけど、『舞姫』や『羅生門』はとりあえず鑑賞専用(笑)。
北村 でも、新しい版の新潮文庫『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』(平成23年改版)を読むと、われわれの時代では考えられないくらい細かい注が付いている。さらに注の冒頭には、巻末の解説について〈菊池寛自身が(略)吉川英治の名を借りて書いた〉とまで丁寧に書かれている。私は50年前、色んな本を読んで菊池が自分で書いたと知って「そうなのか!」と面白がったわけですが。
門井 その喜びもない。
北村 今の人にとっては、菊池の使う言葉でも難しくなってしまったと思うと残念ですね。先日、テレビ番組で「枚挙に暇がない」という表現を使った出演者に、周りの人が次々に「そんな言葉、聞いたこともない」って騒ぎ出していた。
門井 それこそ枚挙に暇がない声が挙がったわけですね(笑)。
北村 ずいぶん前に、朝日新聞の「天声人語」が「碩学(せきがく)」という言葉を使ったら、「みんなが読む新聞に、誰も分からないような言葉を使うな」って意見もでたという。言葉の意味は前後関係でたいてい推測できるから、恐れずに使っていくべき。それによって覚えていくのが言葉というものです。子どもに、せんべいを与えないでチョコレートばかり食べさせていると、せんべいが食べられなくなる、というのと同じなんです。
ブームが生まれる!
北村 菊池寛の戯曲では、『屋上の狂人』が素晴らしい。永遠性を持っていますね。何年か前に、元SMAPの草彅剛も演じていました。菊池自身も『屋上の狂人』については〈自分として得意な作である。「藤十郎の恋」や「敵討以上」で自分の「戯曲家としての価値」を判断して呉れては困まる。が、「屋上の狂人」は、自分が戯曲家として立つ時の、第一の礎石である〉(『藤十郎の恋』新潮社刊、大正9年)とまで書いている。菊池は、自作の中で、やはり戯曲の『父帰る』についても残るだろうと言っていますね。
門井 『父帰る』は芥川も泣かせ、久米も泣かせたという。その魅力は何か考えたんですが、苦労話の中でも“新しい苦労話”なんですね。日本近代で初めて現れた給与所得者の苦悩なんです。江戸時代ならお父さんが家を出て行ったら、一家が路頭に迷う。武家なら家そのものがつぶれちゃう。でも、『父帰る』の一家は、お父さんが出て行っても、貧しいながらも生活できた。だから20年後に父親が帰ってきたときにドラマが成立する。そのことに極めて早く目をつけて戯曲にした。ある意味、ジャーナリスティックな文学といえます。
北村 素材としては、そういうことが言えるかもしれない。一方でしっかりと物語の中心には情感がある。
門井 本当は「父帰る」じゃなくて、帰ってきた父を追い出す話(笑)。当時の人が見たらショックだったでしょうね。
北村 放蕩(ほうとう)息子ではなく、放蕩“親父”の帰還ですからね。菊池寛の戯曲は文士劇でも演じられることが多かった。上演時間も短いし、キャラクターがハッキリしているから演じやすい。
門井 文士劇はやったことがないですけど、セリフは覚えやすいでしょうね。必ず前の人のセリフを受けて展開するから、論理的に筋道が立っている。
北村 登場人物の心理の動きも納得しやすい。反応、反応、反応、で進んでいきますから。
門井 それは大長編でも同じかもしれません。『真珠夫人』でも似たものを感じます。まさに反応、反応、反応。そのかわりイメージの飛躍には乏しいわけですが、これはもう、どっちの方法を選ぶかですし。
北村 私はジェフリー・アーチャーの『ケインとアベル』を昔読んだときに、「なんだ『真珠夫人』じゃないか」と思った。苦しい中での立身出世談、『ロミオとジュリエット』や『大いなる遺産』のようなテーマ――つまり古今東西の受ける要素を全部集めて分類して、何はウケる、何はウケる、何はウケると並べて書いた。露骨なまでにウケ要素を全部入れた小説だと思う。だから面白い。菊池も同様のことを発言しています。近代的な意味で面白い小説がなかった時代にそれを持ち込んだ。なんといっても、物語の冒頭は交通事故からはじまるわけですから。
門井 自動車が崖下に転落しそうになって……。
北村 当時の読者には新鮮だった。江戸流の小説ではなくて、西洋近代小説の持つ要素がうまく詰め込まれている。
門井 『真珠夫人』について、菊池にはもう一つ、計算があったのではないかと思うんです。それはあの時代に、女性解放とまでは言いませんが、女性が男性を翻弄する小説を書けば売れるということです。傍証があります(笑)。この作品が発表される7年前の大正2年に「中央公論」の臨時増刊として「婦人問題号」が出て、さらに3年後に「婦人公論」が創刊される。臨時増刊が定期刊行物になったわけで、つまりそれだけ女性解放ものが売れたんです。そんなジャーナリズムの趨勢(すうせい)を見た上でテーマを決めた、それくらいの計算は、菊池寛ならやりかねない(笑)。
北村 この作品以前に、「〇〇夫人」というタイトルはあったんですかね。
門井 あまり思い浮かばないですね。
北村 最初かはともかく、菊池寛がブームを作った。すぐ思い浮かぶのはズーデルマンの『憂愁夫人』。この邦題は『真珠夫人』の影響でしょう。
「夫人」という言葉が力を持ったのは、まだ世界に闇があって、手の届かないものが確かにあった時代だから。このほかの言葉でいえば、たとえば「博士」。乱歩の作品に「魔法博士」や「妖怪博士」が出てきますが、「博士」という言葉に魔力があった。「インド」という言葉も、インドから来た魔物、インド小僧なんて、インド人もビックリの扱われ方だった。要するに「博士」も「インド」も、そして「夫人」という言葉も、当時の庶民には距離感があったから、魔力を持ち得たわけです。
門井 なるほど。
北村 大岡昇平の『武蔵野夫人』は、編集者の回顧録を読むと、はじめは「武蔵野」という題で書かれていたのを編集者が助言して『武蔵野夫人』となりベストセラーになった。「武蔵野」という作品だったら売れたかどうか……。
門井 まったく印象が違います。
北村 「夫人」と付けただけで掴むものがある。このネーミングひとつにも、菊池寛の恐るべきジャーナリズム的な魂が表れているんです。
門井 面白いのは「夫人」も「博士」も江戸時代には少なくとも日常語としては出てこない。「夫人」は、要するに「おかみさん」だけど……。
北村 「真珠おかみさん」ではねえ(笑)。「夫人」は向こう3軒両隣にはいない。どこか別世界を指している。『貞操問答』の中で、軽井沢が出てくるようなものです。
門井 われわれの手元にないものが、いきなり毎日配達される新聞に出てくることの衝撃ですね。
北村 「垣間見の喜び」が菊池作品にはあった。上野にあった帝国図書館が混雑で並ばないと入れなかった頃、とある学者が「われわれが勉学のために来ているのに、おさんどんみたいな女が菊池寛を読んでいる」と激昂したという。そんな風に一般の人が菊池寛を読み、自分たちの生活の中では手に入らないものを垣間見た。どれだけ人が求めるものが分かっていたのかという気がします。
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