北村 今日、展示を見せてもらって面白かったのは、その『三浦右衛門の最後』のゲラでした。この作品の最後の一文には“これが人間なんだ”というような意味で、〈There is also a man〉という横文字が使われている。菊池は『真珠夫人』でも横文字を使っていて、そちらは今だと、ちょっと困ったなという感じだけど(笑)、この『三浦右衛門』ではうまく生きている。それで今回ゲラを見たら、この箇所が元々フランス語になっていた。それに菊池が線を引いて英語に変えているのを見て「なるほどな」と思った。フランス語はやり過ぎだと感じたのでしょう。
門井 そういうことですか。
北村 最初は、日本語だと強すぎると感じてフランス語にして、さらに英語に変える。その感覚がいい。実に菊池らしい判断ですね。
門井 日本語だとベタッと肌につきすぎるから、一回突き放すためにフランス語にしてみたけれども、離れすぎるのでその中間くらいに……。
北村 その手つきが見える展示になっている。「高松まで来なければ見られないものを見た。菊池寛記念館、誠に素晴らしい!」と感心しました(笑)。
門井 読者が読んだらどう思うか、の見きわめが正確だったんですね。出世作『無名作家の日記』もそうでした。友人の芥川龍之介や久米正雄が東京で同人誌「新思潮」を作って評価されるのを見て、あいつら上手いことやりやがって、こっちは京都の田舎で苦労してるのにって悶々とするという話。登場人物の名前こそ変えていますが、寄稿先の「中央公論」の名編集者・滝田樗陰(たきたちょいん)が「芥川が怒るのでは?」って心配したそうです。でも菊池は「大丈夫」。実際、芥川は怒りませんでした。むろん友人づきあいもあるからですが、作品の受け止められ方を客観的に察する能力があった。
北村 フィクションの度合いですね。里見弴(さとみとん)の有名な話で、友人の志賀直哉が山手線にはねられた時、志賀から精神的圧迫を受けていた時期だったので「こいつ死なないかなと思った」というようなことを小説に書いて絶交された。しばらく志賀の怒りは解けなかったというんですが、本当のことを本当に書いちゃうのが、その頃の純文学のあり方。それに比べて、菊池の『無名作家』は、菊池当人よりも一般化した、いわゆる小説になっている。
門井 確かに芥川のことも久米のことも、それほど貶してない。「こんなすごい作品を書きやがって」という方だから、褒めてるともとれる。処理のしかたが巧妙です。
北村 さらに読んで胸に残るのは、菊池自身が書いても発表できず、先行する作家たちの新作を気にして、ただ貶しているだけ、みたいなところ。表現する者が持つ普遍の哀しみが表れている。
文壇の中で“大人”だった
門井 菊池は一高でした。そのまま持ち上がって芥川らと東大に行くはずだったのに、友人の身代わりとなって一高を中退した「マント事件」があって、一人だけ京都大学に進む。当時、京大の英文科は開設からわずか七年後という新設学科だった。われわれが考えるより“都落ち感”は強かったろうと思います。
北村 ほんとうは都に行ったのだけど(笑)。
門井 正しくは“上洛”です(笑)。菊池が京大に行ったことの最大の収穫は、もしかしたら、漱石に会わなかったことかもしれませんね。「新思潮」の人々は芥川が典型ですけど、久米正雄も松岡譲(まつおかゆずる)も、漱石のところに通って感化される。信仰とまでは言わないけど、それだけの魅力が漱石にあった。今になって思えば、もしも菊池が東京で漱石に感化されていたら、本来の才能ではない純文学的な方向、それこそ描写や詩情のほうへ流されていたかもしれない。
北村 京大で教授だった上田敏に出会っても、漱石のように面倒を見てくれる人ではなかった。要するに菊池は師匠を持たなかった。彼にとっての師匠は、アイルランドやイギリスの本。それに日本の古典ですね。生身の師匠を持たなかったのは、あの頃としては珍しい。
門井 菊池の『半自叙伝』を読むと、京大の先生に対しても、突き放して見ていますよね。
北村 菊池は「新思潮」の同人の中でも年齢的に兄貴分だったことも、作品を特徴付ける意味で大きかった。仲間というにはちょっと年齢が上で、人生を見る目もちょっと上。萩原朔太郎の証言ですが、芥川が菊池について「私の英雄(ヒーロー)」と語っていたというのは印象的です。揶揄する言葉かもしれないけど、自分には出来ない人生を歩める人間ということでしょう。
門井 菊池の文学は、雑駁なまとめ方をすれば、純文学という青年の文学ではなく、大人の文学だったといえるかもしれません。仲間より年齢的に大人だったから、青年がもつ魂の燃焼のようなものを最初から自分の文学の方法にするわけにはいかなかった。
北村 そして、芥川は『地獄変』を書き、菊池は『藤十郎の恋』を書いた。
門井 『地獄変』の主人公は芸術のために死ぬけれど、藤十郎は芝居のために死にはしないわけですよね。
北村 『藤十郎』の事件について、菊池は冷めていて、「あんなことされたらたまったもんじゃない」というようなことも言っている。あの物語の中では、藤十郎の芸術家魂を肯定しているけど、菊池自身はそうではなかった。〈生活第一、芸術第二〉という菊池の有名な信条がありますが、地に足の着いた感覚なのです。
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