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作家であり、社長である。稀代のアイデアマン・菊池寛の真の魅力に迫る! 北村薫×門井慶喜

作家であり、社長である。稀代のアイデアマン・菊池寛の真の魅力に迫る! 北村薫×門井慶喜

文藝春秋創立100周年記念作品 『文豪、社長になる』刊行!

出典 : #オール讀物
ジャンル : #歴史・時代小説

 門井 今日は1冊、古い本をお持ちいただいたようですね。

 北村 これは、丸谷才一さんが子どもの頃に『第二の接吻』を読んだという「婦人倶楽部」(昭和12年2月号)の付録。「傑作長篇小説三人集」とあって、菊池のほかに、久米正雄『破船』、吉屋信子『地の果まで』が掲載されている。私は大昔に神保町で見つけたんですが、雑誌の付録ってなくなってしまうでしょう。一度、菊池寛記念館の偉い人に「寄贈してくれませんか」って頼まれたけど、「ちょっと待って」って言ってまだ手元に持っている(笑)。付録と言っても、堂々たるものです。

資料を読むおふたり

 門井 雑誌の付録は、戦前から充実してますよね。最近はバッグが付いた女性誌が売れたりすると「そんなの活字文化じゃない」っていう文化人がいますが、戦前から日本では当たり前のことでした。『第二の接吻』というタイトルがそそりますね。

 北村 劣情を刺激するとかで、大正15年に映画化されるときには『京子と倭文子(しずこ)』というタイトルに変えられたくらい。菊池にとっては、「夫人」同様、題名もまさに創作ですね。

 門井 雑誌の編集者として毎月見出しを考えるのと、同じ発想なのでしょう。

 北村 この作品は大正14年に東京と大阪の朝日新聞に連載されたのですが、この付録にある説明を読むと、〈連載されるや、俄然熱狂的な歓迎を受け、問題の第二の接吻は果して、京子とであるか倭文子とであるかということに、賭をした人があったという珍談が残されている〉。この作品、出だしも上手いし、意外に悲劇的な結末なんですよ。

 門井 新聞と菊池寛のつながりでいえば、菊池は連載小説の人気が出なくて困っていた朝日新聞に山本有三(やまもとゆうぞう)を推薦しました。それで山本が書いたのが『女の一生』。大ヒットです。以後、山本はたびたび朝日に登場するので「第二の漱石」といわれました。

 北村 久米正雄に『破船』を書かせたのも菊池寛。久米正雄が、漱石の娘筆子(ふでこ)に失恋して落ち込んでいるときに、「お前、通俗小説を書け」と言った。精神的に落ち込んで死にそうになっているときは、金を湯水のように使うことだと。そのためにはお金を儲けろと言って『破船』を書かせたら大当たり。とても有意義で、実践的な助言でしょ(笑)。「元気出せよ」ではなくて、「金使え」って。

 門井 たしかに「これを読め」と本を渡されるよりいいかも(笑)。

 北村 リアリスティックな菊池らしい。

 門井 袂(たもと)にクシャクシャになった10円札の束を入れておいて、いつも困っている人に渡していたという有名なエピソードを連想させますね。

 北村 そばに行きたいよね(笑)。

 門井 困っている振りをして(笑)。

ミンナシンパイシテル

 北村 菊池寛の孫、菊池夏樹さん(菊池寛記念館名誉館長、元文藝春秋編集者)の著書『菊池寛急逝の夜』に面白い話が載っています。菊池寛は年に一、二度、住み込みの小僧さんや近所の御用聞きを集めてベーゴマ大会をやっていたそうなんです。それぞれの店の主人に「小僧さんを借ります」と断りに行き、庭の真ん中に土俵を作る念の入れよう。菊池寛の長男で夏樹さんの父、英樹さんはこう話していたそうです。

〈親父は小説家というより、企画プロデューサー、エンターテインメントの企画者なんだね。それが彼の本質だったと僕は思っている。大会の賞品は、現金と籠いっぱいのベーゴマ。『お金じゃなくて、何かいい賞品を買ったら?』と僕は聞いたことがある。『彼らは、お金が一番重要なんだ』と親父は答えた。賞品のベーゴマも、普通のベーゴマじゃなかった。鉄工所の工場に頼んで作らせた特注品で、角をつけたり、特別な機械加工がされた高価な代物だった。そのころの子どもが見たら、よだれが出るくらい高いベーゴマだった。一等の賞品は、どでかいバスケットいっぱいのベーゴマ。ビリケツにも参加賞と言って賞金を用意していた。私には、このベーゴマ大会が芥川賞、直木賞の原型になったのじゃないかと思う〉

 直木賞作家・門井さんの誕生の大元を辿ればベーゴマ大会がある。われわれはベーゴマ大会に参加させていただいたわけです。

 門井 バスケット10杯くらい、もらった気分がしてきました(笑)。

 北村 この話は、菊池寛の本質を見事に突いている。何かを企画して、段取りを整えて、必要なものを与える。

 門井 芥川賞、直木賞も単に賞を作って与えるだけではなく、雑誌の上でお祭り騒ぎにしてやろうという狙いが菊池には当初からありましたよね。そもそも純文学と大衆文学の2つの賞を同時に作るなんて、菊池寛の文藝春秋以外あり得なかった。あのころ他の誰がやっても説得力がない。新潮社だったら純文学、講談社だったら大衆文学でしょう。

 北村 その後も、ジャーナリスティックな活動から映画まで、作家の枠を超えて大きな仕事をした。それが出来たのは面倒見が良くて、人脈が非常に広かったことも大きかった。この夏、徳川夢声(とくがわむせい)の本を読んでいたら、こんなエピソードがあった。昭和12年、夢声がジョージ六世の戴冠式に、巡洋艦「足柄(あしがら)」に乗ってイギリスまで行くんだけど、式典のあと、ウイスキーの飲み過ぎで倒れてしまった。アル中ですから。それで「夢声危篤」の報が流れた。夢声自身は、色んな夢を見ながらもうダメかなと思っていると、通信参謀の若い少佐が艦の無電室で受信した電報をもってきた。

〈ガンバレムセイ ミンナシンパイシテル キクチカン〉

 門井 いい話だな。

 北村 ヨーロッパまで、こういう電報を打ってきてくれる。これも袂からクシャクシャのお金を出している姿と繋がる。それが菊池寛の人間の大きさ。本能的に目配りができるんですよ。

 残念なのは、時代をリードした菊池が、最後の最後に、時代に裏切られたこと。戦後は公職追放にあって、「なぜ僕がパージを受けるんだ。僕ほどのヒューマニストはいないじゃないか」と感じるなかで亡くなった。もし菊池寛があと10年生きていたら、日本にどんな影響を与えていたか、ふと考えてしまいます。でも、佐佐木茂索ら優れた後継者を育てて見事に「文藝春秋」のバトンを渡して、昭和23年、身内の人を集めた快気祝いの席で心臓発作を起こして倒れるんだから、見事な死であったとも言える。

 門井 それこそ彼自身の書いた新聞小説のラストみたいな最期ですね。直前まで自宅の広間でダンスのステップを踏んでいたというんですから。戦前に「ガンバレ」と励ました徳川夢声が、戦後になってサトウハチロー、辰野隆(たつのゆたか)との「文藝春秋」の鼎談「天皇陛下大いに笑う」(昭和24年6月号)に登場して、大ヒット企画になり、文春再出発のターボエンジンになる。企画したのは冒頭で名前が出た池島信平です。あの『話の屑籠』を読んで入社した中興の祖。菊池寛が蒔いた種が、みごとに花ひらいたんですね。


「オール讀物」2018年10月号掲載


本の話 ポッドキャストでは「門井慶喜さん新刊『文豪、社長になる』に寄せて、菊池寛&芥川賞・直木賞誕生秘話。」もお聴きいただけます。

単行本
文豪、社長になる
門井慶喜

定価:1,980円(税込)発売日:2023年03月10日

電子書籍
文豪、社長になる
門井慶喜

発売日:2023年03月10日

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